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調査内容

井伊家の氏神、渭伊神社・天白磐座遺跡

手水舎で手や口を清めてさらに進むと見える、杉林の中でもひと際大きな2本の杉。
渭伊神社の御神木です。

渭伊神社_御神木

約100年前、落雷によって枯れてしまったという手前の御神木ですが、もう1本の御神木、天生杉に寄りかかるようにして立っています。
地域の方のお話によれば、4、50年ほど前から見た目は全く変化していないそうです。

枯れてしまってもなお、雨風に耐えて立ち続ける御神木に力強さを感じました。

渭伊神社_拝殿

こちらが拝殿です。

渭伊神社_井伊家紋

しめ縄の上に、井伊家家紋の彫刻が施されているのが見えるでしょうか。

井伊家との関わり

龍潭寺の境内に創建されていたことからもわかるように、渭伊神社は井伊家とも関りがあります。
井伊家初代当主である井伊共保が井伊谷に居館を構え、井伊氏を称するようになると、渭伊神社は井伊氏の氏神となりました。

氏神って?
氏神とは、血縁関係にある氏族が祀る神様。渭伊神社は井伊家が祀っていました。平安時代後期に荘園制が形成され、貴族や武士、寺院などの私的領地が確立されると、氏族社会は崩壊、氏神信仰も衰退します。現在では、同じ地域に住む人々が共同で祀る神のことを指すことが多く、「鎮守」や「産土神」等と同じ意味で扱われることが多いようです。

渭伊神社_井伊家紋2

その後、井伊氏が神仏混交するようになり、古来、井戸や井水を信仰対象としてきた渭伊神社は井伊八幡宮と改称、八幡宮の神様が祀られるようになりました。
武神である八幡宮の神様は、当時多くの武家にあがめられていたため、井伊氏もそのご利益にあやかろうとしたのではないか、という説があります。
1868年に、明治政府の神仏分離令が出されると、神仏混交状態は終わり、渭伊神社へと再改称されました。

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