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調査内容

方広寺で五百羅漢の森を巡る

方広寺の守り神

本堂

さらに歩くとようやく本堂が見えてきました。

方広寺本堂2
本堂のそばには大きな鐘楼もあります。
方広寺鐘楼

1731年に建てられた本堂は、数度の山火事による類焼をうけ、現在の本堂は1905年、当時の管長長山虎壑の発願により1915年に完成したもの。間口32m奥行27mの大きさは東海屈指の建物です。

中には本尊である釈迦如来、脇侍に文殊・普賢の二菩薩が安置されており、1354年に仏師「法橋院遵」「法眼院廣」「法印院吉」の3人によって彫刻された木像だそう。
元禄の頃水戸の徳川光圀(黄門)の命により修繕した、と背面に誌されています。
もとは茨城郡古内村の清音寺に祀られていたものを明治末にこの方広寺に移したので、水戸の黄門様とも関わりがあるようですね。

西側の”勅使玄関”は、当山が皇室ゆかりの寺ゆえに、しばしば勅使の参向を受けており、その際、勅使が出入りした玄関でもあるそうです。
2010年には100年ぶりの大改修工事と耐震工事が行われました。

方広寺本堂3

方広寺の鎮守

方広寺の鎮守は「奥山半僧坊大権現」という火事を防ぐ火伏せの神様です。
伝えによると、方広寺の開祖である南北朝時代の僧、無文元選禅師は中国の元に渡り、各地を巡って参禅を行いました。
そして日本への帰国の途中、東シナ海で台風に遭遇します。
嵐のなか、今にも大波に飲み込まれそうな船中で禅師が観音経を唱えていると、鼻が高く眼光の鋭いひとりの異人が現れました。この異人が「わたしが禅師を無事、日本にお送りします」と、船頭や水夫を指揮して台風を見事乗り切り、博多の港へと導いて姿を消したのでした。
その後、禅師が方広寺を開くと、その異人が再び姿を現し「弟子になりたい」と願いました。禅師は「あなたは、半ば僧のようなところがある」と言われて弟子になることを許し、そこから「半僧坊」と呼ばれ修行に励むことになりました。
禅師が亡くなると「わたしがこの山と寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除きましょう」と姿を消し、半僧坊大権現となって方広寺の鎮守として祀られているということです。

その姿はいわゆる鼻高天狗とされていて、また後年に誰もその姿を見たことのなかった半僧坊大権現の像を造ろうとしたとき、仏師の夢枕にひとりの翁が現れて「大権現の姿は、(日本の神話に伝わる)鼻の高い猿田彦のようである」と告げたという伝説も遺ってるとか。

なるほど、どうやら山の中のヤツデの葉を思わせる石碑は鎮守である「奥山半僧坊大権現」に関わりがありそうです。
後ほど調べてみると、神奈川県の鎌倉にある臨済宗建長寺派大本山、建長寺の中にも「半僧坊大権現」を祀る天狗ゆかりのお寺があり、方広寺鎮守と関係があるようでした。
建長寺とあれば大寺院ですから、行ったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

方広寺羅漢7
本堂の中からもたくさんの羅漢様が見えます。

方広寺枯山水
きれいな枯山水のお庭も見えました。

方広寺の境内は広大で、まだこの他にも火伏せの神様「奥山半僧坊大権現」の信仰にまつわる山火事から不思議に焼け残った「延命半僧杉」や、無文元選禅師を祀った開山堂、朱塗りの立派な山門などたくさんの見どころがありました。

まだまだ調査の必要がありそうですが、今回の報告はここまで。

結果報告

石像に見守られたお寺は全体的に神聖な雰囲気が漂っていました。
御本尊様は釈迦如来ですが、鎮守として神様がいたり、その神様に天狗のうわさがあったりと
何だかまだまだ面白い発見が出来そうな、パワーのあるスポットです。
森の中は木陰になっていて涼しいのでお散歩がてら参拝してみてはいかがでしょうか。

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方広寺

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