ハマラボは「浜松の魅力」を浜松周辺に住んでいる人にお届けする地域密着の情報サイトです。

調査内容

秋葉信仰ってなに?秋葉山本宮秋葉神社を知る

天竜区春野町、秋葉山。
赤石山脈の南端を占める標高866mのこの山に、江戸時代、全国的な流行を見せた「秋葉信仰」の起源となった神社があります。
今回は秋葉山本宮秋葉神社を調査!秋葉信仰の歴史から御祭神「火之迦具土大神」のご利益まで、お参りの予習にぴったりな情報をご報告いたします!

秋葉信仰の起源、秋葉山本宮秋葉神社

秋葉神社の創建時期には諸説ありますが、秋葉山は古より神体山・霊山として仰がれており、その後仏教や修験道が入ることで神仏習合の霊山として発達してきました。
神道・仏教・修験道が入り混じった歴史を、わかりやすく年表にまとめてみましたよ!

本宮秋葉神社_年表

木造建築が主流で火事が多かったとされる江戸時代、全国的な流行を見せた秋葉信仰でしたが、明治元年(1868年)、明治政府によって神仏分離令が発布。神仏習合である秋葉大権現も分離を迫られました。
秋葉大権現は「神」「仏」いずれかだけでなく、「修験派」と「僧派」の対立もあり決着は容易にはつきませんでしたが、明治5年(1872)に教部省は秋葉権現を修験道の天狗「三尺坊」とは異なる鎮守と判断、祭神名を火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)とし、秋葉山を神道の秋葉大権現(現・秋葉神社)と仏教の秋葉寺に分離しました。
その際、名前も秋葉大権現から秋葉神社に改称されています。

厳かな雰囲気の下社

こうして火の神、火之迦具土大神を祀る神社となった秋葉神社ですが、その境内が下社と上社の2つに分かれているのはご存知でしょうか。

秋葉神社へと改称後、第二次世界大戦中の昭和18年(1943年)、秋葉神社は山麓から発生した火事のもらい火によって、本殿東側の山門を除くすべての建物を焼失しました。
戦中戦後は再建も容易ではなく、その中で祭祀を継続するため、山麓に造営されたのが下社です。

本宮秋葉神社_下社入口

大きな灯篭が並ぶ階段を上ると、境内はとても厳かな雰囲気。

本宮秋葉神社_下社

本殿は昭和61年に再建された上社本殿よりも小規模ではありますが、歴史を感じる佇まいです。秋葉神社に参拝される際はぜひ下社も訪れてみてくださいね。

下社から上社までは、徒歩で90分、車で40分程度の道のり。秋葉山の自然を感じながら、徒歩での登山を楽しまれている方もたくさんいらっしゃいました。

この記事の関連タグ

0件のコメント

秋葉信仰ってなに?秋葉山本宮秋葉神社を知るについて、お気軽にコメントしてください。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

新着記事