砂山町の凧印 ぶたぎつねの由来? 商店街の真ん中にたたずむ砂山稲荷
公開日:2021/09/28
浜松各地の伝説や怪談にまつわる奇妙なスポットをご紹介。
今回は浜松駅南の商店街にぽつりと佇む「砂山稲荷」にお参り。
駅南のサザンクロス商店街にある稲荷
サザンクロス商店街はJR浜松駅の南、徒歩3分ほどのところにあるアーケード商店街。
昔は「砂山銀座」と呼ばれ、呉服屋や洋品店を中心としたお店で賑わっていました。
現在でも、月1マルシェ「浜松サザンクロスほしの市」などのイベントを開催しており、市民にとっては馴染み深い商店街です。
サザンクロス商店街
そんな商店街のほぼ真ん中あたりに位置する砂山稲荷。
両端を住宅に挟まれており、境内はブロック塀で囲まれています。
パッと見、神社仏閣の類には見えないので素通りしてしまいがち。
縦奥に広い境内
商店街の一角ですが、一歩足を踏み入れると、こじんまりとしていて案外居心地がいい空間。
赤い鳥居の先にあるのが稲荷の社。
お狐様が両脇にいらっしゃる
珠を咥えている
近くにあった立て看板によると「オンシラバッタ ニリウンソワカ」と三回唱えるべしとのこと。豊川稲荷も同じ御真言を唱えるそうですよ。
稲荷のお社の隣にはもう一つの社。
無縫塔っぽいものが安置されていた
鳥居や境内のベンチには「新豊院」の文字。
実は、その昔この辺りには新豊院というお寺があったのだそうです。
平成2年9月、都市開発によりお寺は三方原町に移転。
ですが、砂山稲荷はこの地にそのまま残りました。
あくまで想像ですが、お稲荷様といえば商売の神様でもあるので、商店街の方々に愛されていたんでしょうね。
ベンチには「新豊院 砂山稲荷」の文字
「新豊院」は、華蔵禅師(けぞうぜんし)というお坊さんが建てました。
華蔵(けぞう)禅師は、東海地方に仏教を広めるために、九州から遠州にやってきたと言われています。
華蔵禅師は、浜松で荘園を支配していた領主の吉良(きら)氏の援助を受け広沢に普済寺を建てたそうです。普済寺は遠江における曹洞宗の拠点となる古刹として今も現存しています。
その後、浜松に10カ所以上の寺を建てた華蔵禅師。
晩年になり、隠居のために砂山のあたりに寺を建てたのが新豊院の始まりなのだそうです。
砂山稲荷の御本尊は、華蔵禅師の師匠である寒厳(かんがん)禅師が中国からの帰国途中に体験した出来事をきっかけに作られました。
寒厳禅師が中国からの帰国途中、大嵐になってしまいました。
禅師が乗った船は荒れ狂った波に揉まれ、あわや海の藻屑かと思われたその時、白い狐に乗った仏様が現れたそうです。
寒厳禅師が「オンシラバッタ ニリウンソワカ」と三回唱えると、あんなに大荒れだった海は鎮まり、無事帰国できたとのこと。
“白い狐に乗った仏様”は、吒枳尼天(だきにてん)と呼ばれています。
寒厳禅師は、帰国するとそのお姿を刻み、お寺の山門の鎮守にしたそうです。
その後、仏像は戦果の中をくぐり抜け、今もここ砂山稲荷に安置されているとのこと。
砂山町の凧印 “ぶたぎつね”って実は…
もう、みなさんお気づきかもしれませんが(お気付きも何も、記事タイトルに堂々と書いてありましたね…笑)、砂山町の凧印「ぶたぎつね」はこの新豊院のお稲荷様をモチーフにしています。
ぶたぎつね
凧に描かれたキツネの鼻がブタの鼻の形に似ているので“ブタギツネ”と呼ばれるようになったという、なんだか笑っていいのか、泣いていいのか、わからない由来を持つ「ぶたぎつね」。
実はすごくご利益のあるお狐様だったことが発覚!
凧の絵柄をよく見ると、紐がついているお面なんですよね。
もしかして…?
上の写真の奥の方、お分かりいただけますでしょうか。
砂山稲荷の社の向かって左奥に、狐の顔のお面のようなものがあったんですよ。
これってもしかして、ブタギツネ?
この狐の顔が怖くて直視できなかったのですが、立派な牙が生えていて、今思うとブタギツネにどことなく似ていたかも。
砂山稲荷を訪れた際にはぜひ確認してみてください!
こんなところにお稲荷様があったんだ!と驚きました。
境内はとても居心地が良くて素敵なパワースポットですよ。
“ブタギツネ”は絵柄の可愛さから好きな凧印でしたが、砂山稲荷のお狐さんでしたか!
かなり由緒正しいお狐様で、“ブタギツネ”なんて酷い名前で呼んでごめんねって感じ。
でも、もう“ブタギツネ”で定着しちゃってるし、その不器用さが愛らしさにつながっているから…。これからも“ブタギツネ”って呼ばせていただきます…。
好きだよ、ブタギツネ!
この記事を書いた人
- 浜松周辺に住む人が聞いたことある!見たことある!けれど、行ったことはない…。そんな「噂のスポット」を調査!
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