浜松の産土神、五社神社・諏訪神社に御参り
公開日:2017/07/13
五社神社、諏訪神社は、中区利町、JR浜松駅の西北西約1kmにある神社です。
市内中心部に位置することもあり、年末年始には多くの人で賑わうこの神社を本日は調査していきます。
まず境内に入ると、五社神社と諏訪神社の御由緒が書かれた看板が目に入りました。
五社神社ご祭神
- ・占いの神、神事の神である太玉命(ふとたまのみこと)
- ・雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神である武雷命(たけみかずちのみこと)
- ・神剣、刀剣の神格化であるとされる斎主命(いわいぬしのみこと)
- ・祝詞の神、出世の神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)
- ・神道の女神で八幡にて祀られていることも多い姫大神(ひめおおかみ)
五柱の神。ここから五社神社という名前がつけられました。元々は太玉命を祀る神社であったものに、春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となったものと見られているそう。 相殿には応神天皇、徳川家康を祀るほか、菅原道真、舎人親王の名前もあります。
諏訪神社ご祭神
- ・軍神、農耕神、狩猟神である建御名方命(たけみなかたのみこと)
- ・神道の女神で諏訪固有の神である八坂刀売命(やさかとめのみこと)
- ・名前の「コトシロ」は「言知る」の意で、託宣を司る神である事代主命(ことしろぬしのみこと)
相殿はやはり徳川家康公です。
敷地内紹介
大きな鳥居を抜けると、さっそく奥に朱色の美しい拝殿が見えます。
境内へと進むと右手に社務所があります。
おみくじや御朱印はこちらで受付しているようです。
おみくじには天然石の入ったものや鈴の入った恋みくじなどいくつか種類がありました。
さらに先に進むと、手水舎がありました。
こちらの手水舎の手水鉢はなんと寛永15(1638)年に浜松城主、高力摂津守に寄進されたものがそのまま残っています。徳川で言えば家光公の時代。時の流れを感じながら両手と口を軽くすすぎます。
そして階段を上るとついに大きな拝殿が見えました。
すぐそばには小さな稲荷舎が。
いざ参拝!
左手に御神岩や儀式殿を見ながら参拝を済ませます。
徳川家から崇敬されてきた五社神社、諏訪神社は、昭和35(1960)年に1つの神社として合祀。現在も子守り・子育ての神様として信仰が厚く、七五三の時期には綺麗に着飾った子供たちや家族でにぎわいます。
また、家康公が自身の厄除けの祈祷を五社神社で行ったことから厄除けや交通安全祈願の神様としても知られており、今回は車で取材に行くことの多いハマラボ研究員一同の交通安全を祈願してきました!
両脇には大きな狛犬。
口を開けている阿形と
口を閉じている吽形です。なんとも迫力があります。
本日は入ることができませんでしたが、この拝殿の奥には本殿や祖霊社があるそう。
五社神社、諏訪神社の由緒
五社神社は、戦国時代初期の曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建したのが始まりと言われ、後に徳川家康によって2代将軍秀忠誕生の際に産土神(生まれた土地を守る神)として、現在の地に遷されました。
かつての社殿は戦前まで現在の重要文化財にあたる特別保護建造物として保護されていましたが第二次世界大戦中、浜松空襲により諏訪神社とともに焼失。現在の社殿は昭和57(1982)年に再建されたものです。
諏訪神社は延暦10(791)年に坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に奉斎したのに始まりとされ、幾度かの変遷を経て、弘治2(1556)年に神託により浜松に遷されました。
両社ともに長く徳川家の崇敬を受けていたとされています。
長い歴史を知るとより厳かな気持ちで参拝できますね。
すぐ近くに浜松城出丸跡の石碑もありました。
遠い昔、戦国の時代に思いを馳せたところで、今回の調査は終了です。
浜松といえば徳川家康。
家康公にもまつわる歴史を感じることができる素晴らしい調査となりました。
千年以上も歴史のある神社が浜松の街中にあること、ご存知でしたか?
浜松城からも徒歩圏内の五社神社、諏訪神社。ぜひ訪れてみてください。
この記事を書いた人
- プライベートは全力、仕事はそつなく、脱力系女子。
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