龍潭寺で井伊家歴代墓所へお墓参り

浜松市北区

2017年大河ドラマの舞台となったここ浜松には、主人公、井伊直虎にゆかりあるスポットが数多く存在します。
今回調査する龍潭寺はその中でも最たるスポット。若き日の直虎が次郎法師として出家した寺であり、直虎の位牌が祀られる菩提寺でもあります。

龍潭寺_龍潭寺で井伊家歴代墓所へお墓参り|ハマラボ[ハママツ研究所]

龍潭寺の見どころといえば国の名勝に指定された、小堀遠州作庭の庭園や、うぐいす張りの廊下がある本堂などがあげられますが、今回は「お墓」にスポットを当てて調査!
ハマラボ研究員も今話題の「墓マイラー」になってきました!

井伊直虎とは?

まず、井伊直虎とは誰なのか、おさらいしていきましょう。

井伊直虎は、戦国時代から安土桃山時代にかけての、遠江井伊谷の領主です。
その名前が井伊家の系図にも、歴史書にも記されていないこと、徳政令の実施を命する書状に「次郎直虎」との署名が見られることなどから、通説では、直盛の娘、次郎法師であったとされています。
しかし、その存在については今も様々な考察がなされている謎の多い人物なのだとか。

2017年には大河ドラマの主人公に抜擢。女性でありながら家督を継ぎ、戦国を生き抜いた直虎の生涯が描かれています。

龍潭寺とは?

龍潭寺とは、その井伊直虎の御霊が眠るお寺です。
平安時代から井伊家の菩提寺でした。

龍潭寺_龍潭寺で井伊家歴代墓所へお墓参り|ハマラボ[ハママツ研究所]

二代目住職であった南渓瑞聞は、井伊直虎の大叔父にあたり、直虎を井伊家当主に推薦した人物としても知られています。
現在は、江戸初期に作られ国の名勝に指定されている池泉鑑賞式庭園のほか、赤地に「井」の記が描かれた籠など、井伊家ゆかりの品を見物する参拝客で賑わっているそうですよ。

龍潭寺_龍潭寺で井伊家歴代墓所へお墓参り|ハマラボ[ハママツ研究所]

摩訶耶寺、大福寺、大本山方広寺、初山宝林寺と並ぶ湖北五山のひとつに数えられています。

龍潭寺でお墓参り

井伊家拝領の品から美しいお庭まで、多くの見どころがある龍潭寺ですが、井伊家菩提寺のため、境内にはもちろん井伊氏歴代の墓所があります。
今、歴史上の偉人が眠るお墓を巡る人が増えているのをご存知ですか?
2010年ごろから徐々に人口を増やす彼らは「墓マイラー」と呼ばれ、「現代用語の基礎知識」などの書籍にも新語登録されているのだそう。
今回は、龍潭寺境内の各墓所をご紹介。
皆さんも「墓マイラー」になってみませんか?

井伊氏歴代墓所

まずはもちろん井伊氏歴代の墓所を調査!
山門から入り、仁王門、本堂、開山堂を越えた先に、墓地が見えてきます。
井伊氏歴代墓所はその一番奥、少し階段を上がった先にありました。

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中央にある大きな墓石。
右手が、井伊家の始祖となった、井伊共保の墓であり、左手がここ、龍潭寺の名の由来となった直虎の父、井伊直盛(法号:龍潭寺)の墓です。
両側には、24代井伊直政までの墓が並びます。
ここで注目してほしいのが、左側の墓石の並び。

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奥から二番目が、井伊直虎の墓なのですが、その隣、中央に位置する墓は、直虎の幼き日の許婚、井伊直親のもの。
井伊家の家老、小野氏の讒言により、幼い直親は命を狙われることとなり信濃へ逃げたため、生前二人が結ばれることはありませんでしたが、その二人の墓石は今、龍潭寺で隣同士に並べられています。
手前から二番目、直親の隣は直親の妻、ひよ(しの)のもの。一番手前は直虎が後見人となり育てた直親の息子、井伊直政で、一番奥には直虎の母である松岳院(祐椿尼)の墓石があります。

大河ドラマを見た後に訪れると、直親や祐椿尼、それぞれの最期が思い浮かびますね。

龍潭寺歴代住職墓所

井伊氏歴代墓所の手前には、井伊家にゆかりある人物の墓所が並んでいます。
その中に、龍潭寺歴代住職の墓もありました。

龍潭寺_龍潭寺で井伊家歴代墓所へお墓参り|ハマラボ[ハママツ研究所]

大河ドラマの中でも大きな役割を果たす、龍潭寺の人々。
直虎の大叔父で、井伊家の軍師的な存在である南渓和尚の墓石は、真ん中の大きな石碑の左隣にありました。

南渓瑞聞(なんけいずいもん)は、井伊直虎の祖父、井伊直宗の弟です。戦国時代の武家では、次男は幼い時分から出家させられることが多かったため、井伊家でも当然のように次男は出家、南渓瑞聞という僧侶となりました。
天文20年(1551年)、龍潭寺を開山した黙宗瑞淵(もくしゅうたんえん)より南渓の号を授かり、黙宗の死後、龍潭寺二世に。

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女性である井伊直虎を井伊家の当主に推薦したことなどから、当主不在時の井伊家を率いていた可能性が高いといわれています。
大河ドラマでは、優しく、時に厳しく直虎を導く南渓和尚を、小林薫さんが演じられていますよね。

中央奥の大きな石碑から二つ目の墓石は、龍潭寺三世となる、傑山宗俊(けっさんそうしゅん)のもの。

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またその右隣の少し背の高い墓石は、龍潭寺五世である昊天宗建(こうてんそうけん)のものなのだそう。

どうやらこの丸っこい特徴的な形の墓石が、龍潭寺の僧、和尚であることを表しているようです。

傑山宗俊は、龍潭寺三世となった戦国時代の僧侶。
天正12年(1584年)直虎の死後、弓の名人であった傑山は、長刀の名手であった昊天と共に、小牧・長久手の戦いへと遣わされ、長久手にて池田恒興と森長可の両隊を討つことにより直政の名を上げたという逸話が残っています。
大河ドラマでは市原隼人さん演じる傑山が、「マッチョな美坊主」として人気を博したのも記憶に新しいかと思います。

昊天宗建は、龍潭寺五世となった僧侶です。
生年は不詳ですが、おそらく龍潭寺に関わる人々の中では最も若く、直虎死後も直政を見守り、直政が関ヶ原の戦いで負った傷がもとで亡くなった際には、遺言に副って滋賀県彦根の佐和山に豪徳庵を建て、直政を祀りました。
彦根にある龍潭寺の開山であるという説もあります。
大河ドラマでは小松和重さんがクールな頭脳派僧侶として演じられていました。

その他の墓石ももちろん、龍潭寺歴代住職のもの。
龍潭寺開山である黙宗瑞淵の墓所は、境内の建物のひとつ、開山堂の下にあるとのことで、こちらに墓石はありませんでした。

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開山堂は、黙宗瑞淵の墓所であるだけでなく、歴代住職のお位牌も祀っているそう。
御霊はこちらにいらっしゃるそうなので、お墓参りの際はぜひ開山堂にもお参りしてみてはいかがでしょうか。

井伊氏家臣の墓

龍潭寺歴代住職の墓の周りには、井伊の家臣の墓石や、桶狭間の戦いでの戦死者の供養碑が並んでいます。

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こちらは井伊家の恩人として知られる今川家臣、新野左馬助の墓。
今川の目付として井伊谷に遣わされていましたが、井伊直親が小野政次の讒言によって誅殺された際には、今川氏真や寿桂尼に命に代えて願い出て、遺児となった幼き井伊直政を救い、自らも養育に関わったといわれています。

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そのほか、小野家や奥山家、中野家の墓石もこちらにありました。

こちらは、井伊谷三人衆の一人、近藤康用の墓所。
井伊家が彦根に移った際、幕末までこの井伊領を治めていたのが近藤家でした。

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領主の墓所とあり、少し小高いところに大きな墓石がありました。
歴史を知ったうえで見て回ると、墓石の形や位置関係も理解できて面白いですよね。

それぞれのお墓に丁寧に手を合わせ、今回の調査は終了です。

結果報告

井伊家歴代の墓はよく紹介されているため、手を合わせている方も多くいらっしゃったのですが、そのほかの墓所はあまり知られていないのか、静かな印象でした。
大河ドラマを見たり、歴史を調べてから訪れると、ついそれぞれの最期に思いを馳せてしまいますね。
偉人や歴史上の人物のお墓参りを楽しむ「墓マイラー」の気持ちが少しわかった気がします。
龍潭寺には墓地のほかにも多くの見どころがありますので、訪れた際にはぜひお庭や本堂もご覧くださいね

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ハママツ研究所
浜松を愛し、浜松に愛されることを目指して日々研究に没頭中

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