井伊の赤備え発祥の地、濱松 秋葉神社

井伊の赤備え発祥の地、濱松 秋葉神社

浜松市中区

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浜松の秋葉神社、といえば天竜区春野に位置する秋葉山本宮秋葉神社を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
東海随一の霊山との呼び声も高い秋葉山を神体山として、火伏せの神、火之迦具土大神(ヒノカグツチノオオカミ)を祀る格式高い神社ですよね。

しかし、浜松城からほど近い中区三組町にも、同じく火伏せの神、火之迦具土大神を御祭神とする「秋葉神社」があるのをご存知ですか?
街中にありながら、深い緑に囲まれ静かな時が流れる、美しい神社です。

今回は街中の秋葉神社こと、浜松秋葉神社を調査してきました!

浜松城近くの秋葉神社

浜松秋葉神社は、中区三組町、浜松城から徒歩10分程度の場所に位置する神社です。
「秋葉」の名の通り、本宮秋葉神社と同じく火之迦具土大神を祀っています。

井伊の赤備え発祥の地、濱松 秋葉神社|ハマラボ[ハママツ研究所]

秋葉神社の起源は永禄十三年。
若き日の徳川家康が岡崎城から浜松城に移った際、霊山秋葉山の権現社を城のすぐ近く丘陵の上に移し、新しい土地や民の安全と繁栄を祈願したのがはじまりとされています。
現御前崎市から湖西に至る遠州一帯の秋葉信仰の中心であり、浜松や三河の大名から町衆まで幅広く崇敬されてきた、正一位の神階を賜る歴史ある神社なのだそうですよ。

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境内は美しい緑に囲まれています。

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至るところにある形の統一されていない燈籠は、それぞれ歴代の浜松城主や浜松藩主など、ゆかりある人物から奉納されたもの。
拝殿横には第14代浜松城主である松平資訓が享保15(1730)年に奉納した燈籠の基礎と竿など、長い年月により風化した燈籠の一部を見ることが出来ます。

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手水舎には、手水の作法がわかりやすく書いてありました。
境内は全体が鳥居から全体が見渡せる程度の広さ。調査を行った際にも数人の方が参拝にいらしており、神主さんとお話されていました。地域の方々に愛される神社なのでしょうね。

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こちらが拝殿。
秋葉神社の神紋である、七葉もみじの形のおみくじを結ぶ棚がありました。
おみくじは100円の通常のおみくじと、300円の女みくじ、男みくじの2種類のようです。

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300円で願い事を書くことが出来る、御願串(ねがいぐし)もありました。
火の神らしく、忌火でお焚き上げすることで願い事の成就を御祈祷してくださるのだそう。

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こちらにも七葉もみじの模様が描かれていましたよ。

秋葉神社の御祭神、火之迦具土大神は、神話ではイザナギとイザナミの間に生まれた火の神とされ、秋葉神社の他、愛宕神社、野々宮神社などで祀られています。火事などの災厄を遠ざけるとして、大変な信仰を集めました

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朱色が美しい境内廊下

かの徳川家康が城の近くに権現社を置くため、霊山秋葉山から勧請(神仏の分霊を請じ迎えること)したほどですから、木造建築が主流の当時、火事がどれほど恐ろしいものであったかがうかがえます。
また、武田家が滅亡した際、家康は多くの旧武田の家臣を召し抱えましたが、その際、家康への忠誠を誓わせた起請文をこの秋葉神社に奉納させたのだそう。
信仰の深さがうかがえるエピソードです。

井伊の赤備え発祥の地

この秋葉神社、実は2017年大河ドラマの主人公である、井伊直虎ゆかりの地としても知られています。
直虎が後見人となって育てた井伊直親の息子、井伊直政は、元服後、徳川家臣として功績をあげ、戦国時代を代表する名武将となっていきます。
中でも井伊直政を中心に武田旧臣である山県隊と編成した「井伊の赤備え」は、小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦し、「井伊の赤鬼」と恐れられたのだとか。

その井伊の赤備え発祥の地がここ、秋葉神社です。

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井伊の赤備えが小牧・長久手の戦いに出陣する際、武田家旧臣は秋葉神社に血判状を奉納したのだそう。
境内にはこのような説明書きもありました。

徳川氏、武田氏、井伊氏それぞれにゆかりのある、歴史深い神社でした。

結果報告

境内は本当に街中とは思えないほど静かで、とても癒されました。
春には桜、秋には紅葉が見られます。
朱色が美しい拝殿と、境内を彩る木々。古きよき日本の風景ですね。
毎年1月27日には鎮火祭、続く28日には正月飾りなどを焚き上げる焼納祭(おしめ納め)と、その年の豊凶を占う管粥祭が行われるのだそう。
お正月の終わりをつげる催しを、露店の並ぶ境内で楽しむことができますよ。
ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

この記事を書いた人

ハママツ研究所
ハママツ研究所
浜松を愛し、浜松に愛されることを目指して日々研究に没頭中

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