井伊家の氏神、渭伊神社・天白磐座遺跡
公開日:2017/11/28
井伊家発祥の地、北区引佐町井伊谷。
今注目を集める井伊谷地区に、井伊家の氏神を祀った神社と、古代から伝わるパワースポットがあるってご存知ですか?
今回は、渭伊神社と天白磐座遺跡を調査!
渭伊神社とは?
渭伊神社とは、北区引佐町井伊谷に位置する、井戸や、井水を祀った神社です。
浜松八幡宮と同じく、玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)品陀別命(ホンダワケノミコト)(応神天皇)息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)(神功皇后)を御祭神としています。
玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)って?
海の神、水の神、聖母神であるとされる女神です。日本神話では海の神の娘とされていますが、タマヨリヒメという名は、タマは神霊、ヨリは人間に憑くことを指すため、地域に祀られている神の妻となった巫女を神格化したものという説もあります。ご利益は、子宝、安産守護、豊作豊漁、商売繁盛など。
品陀別命(ホンダワケノミコト)(応神天皇)って?
5世紀前後ごろの第15代天皇であった応神天皇です。文武の神であり、「八幡様」として広く知られています。国家鎮護や成功勝利、悪病災難除け、子孫繁栄などやはり武神としての信仰に厚く、全国に3万以上あるといわれる八幡系の神社は、この品陀別命とその母、息長帯比売命に玉依比売命を加えた3柱を八幡三神として祀っていることが多いです。
息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)(神功皇后)って?
第14代仲哀天皇の皇后、神功皇后です。三韓征伐物語の中心人物であり、妊娠中に新羅に遠征、新羅降伏後筑紫に帰り、品陀別命(ホンダワケノミコト)(応神天皇)を産んだといわれています。聖母神、武芸の神として知られ、ご利益は安産、学業祈願、厄除け、家内安全など。
創立の年代は不明ですが、平安時代に編纂された歴史書、「日本三大実録」には、「貞観八年十二月二十六日授遠江 国正六位上蟾渭神」とあるため、少なくとも貞観八年(866年)には官位を授かるような、由緒ある神社であったことがわかります。
元々は龍潭寺境内にあった渭伊神社ですが、南北兵乱の際に現在の場所へと移されました。
境内入ってすぐにある手水舎。
改修されたばかりのようで新しくきれいでした。
手水舎で手や口を清めてさらに進むと見える、杉林の中でもひと際大きな2本の杉。
渭伊神社の御神木です。
約100年前、落雷によって枯れてしまったという手前の御神木ですが、もう1本の御神木、天生杉に寄りかかるようにして立っています。
地域の方のお話によれば、4、50年ほど前から見た目は全く変化していないそうです。
枯れてしまってもなお、雨風に耐えて立ち続ける御神木に力強さを感じました。
こちらが拝殿です。
しめ縄の上に、井伊家家紋の彫刻が施されているのが見えるでしょうか。
井伊家との関わり
龍潭寺の境内に創建されていたことからもわかるように、渭伊神社は井伊家とも関りがあります。
井伊家初代当主である井伊共保が井伊谷に居館を構え、井伊氏を称するようになると、渭伊神社は井伊氏の氏神となりました。
氏神って?
氏神とは、血縁関係にある氏族が祀る神様。渭伊神社は井伊家が祀っていました。平安時代後期に荘園制が形成され、貴族や武士、寺院などの私的領地が確立されると、氏族社会は崩壊、氏神信仰も衰退します。現在では、同じ地域に住む人々が共同で祀る神のことを指すことが多く、「鎮守」や「産土神」等と同じ意味で扱われることが多いようです。
その後、井伊氏が神仏混交するようになり、古来、井戸や井水を信仰対象としてきた渭伊神社は井伊八幡宮と改称、八幡宮の神様が祀られるようになりました。
武神である八幡宮の神様は、当時多くの武家にあがめられていたため、井伊氏もそのご利益にあやかろうとしたのではないか、という説があります。
1868年に、明治政府の神仏分離令が出されると、神仏混交状態は終わり、渭伊神社へと再改称されました。
拝殿に御参りをしてあたりを見渡すと、他にもいくつか小さな社が見えました。
境内の摂末社一覧が書かれている看板がこちら。
多くの神を祀っている渭伊神社ですが、その中でも気になったのが「モロード様」という聞きなれない神様。
調べてみると、どうやら客人(まろうど)神のことのようです。
客人神って?
他の神に祭神の地位を奪われ、客人扱いをされている神様や、他の地域から来訪し、その土地で信仰されるようになった神のこと。諸説あり、地域ごとに定義は異なります。アラハバキ神を指すこともあるそう。
摂末社にもお参りを済ませ、さらに奥へと進みます。
パワースポット?天白磐座遺跡
拝殿の脇から伸びる上り坂は、渭伊神社裏手にある天白磐座遺跡へと繋がっています。
坂を上り終えて見えてくるのは、5m以上はあろうかという大きな岩たち。
天白磐座遺跡は、これらの巨石を神の拠り所とした古代の巨石祭祀場の遺跡です。
西、南、北の三方を、神宮寺川とその支流に囲まれていることから、水霊を祭る祭祀の場所だったと推測されています。
巨石のある地面からは、大きな土器の破片や鉄鉾、和鏡などが発見されており、4世紀(古墳時代)から13世紀(鎌倉時代)まで続いた祭祀場だったことがわかっているのだとか。
パワースポットとしても人気があり、多くの人が見学に訪れているそうですよ。
ロケ地となった巨石を調査!
実はこの天白磐座遺跡、最近特に人気が上昇しているんです。
その理由が、2017年度の大河ドラマ。
井伊直虎が主人公のため、井伊谷のある浜松で撮影が行われたことは有名ですが、ここ、天白磐座遺跡もロケ地のひとつとして使用されたのだそう。
使用されたのは第1話の冒頭、幼き直虎が幼馴染である亀之丞(井伊直親)や鶴丸(小野政次)らと鬼ごっこをするシーン。
ハマラボはキャプチャとにらめっこして撮影に使われた巨石と、同じように撮影するための角度を調査してきました!
それがこちら!
ドラマでは、この中央を鬼ごっこに興じる子供たちが走り抜けていきます。
撮影する際の目印はお賽銭箱と左手にある葉の茂った巨木。
巨木の陰から、お賽銭箱が画面右側に写るように撮影すると、ドラマと同じ構図で写真が撮れますよ!
また、鬼である鶴丸が巨石のすぐ脇を走り抜けていくカットも再現してみました。
こちらは、1枚目の写真で子供たちが走り抜けていった中央に入り、目印の巨木が左手、1枚目で左側に映っていた一番大きな岩が右手にくるように撮影したもの。
木々と岩の間を走る様子を撮影すれば、鶴丸の気持ちが味わえるかもしれません。
遺跡も存分に楽しんだところで、今回の調査は終了です!
渭伊神社は歴史ある静かな神社、といった雰囲気でした。住宅地の中にあり、公園が併設されているので子供たちが遊びに来る、地域に愛された神社のようです。
天白磐座遺跡は巨石群に思わず圧倒されてしまいましたが、きれいな空気の中でリフレッシュできる場所だと感じました。
少し下った先には鯉のいる川が眺められる場所もあるので、パワースポットとしてだけでなく、自然を感じたいときにもおすすめです。
この記事を書いた人
- 浜松を愛し、浜松に愛されることを目指して日々研究に没頭中
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