おんな城主誕生の地、井伊谷城跡・二宮神社

浜松市北区

2017年度大河ドラマの舞台となった、北区引佐町井伊谷。
井伊氏の居城となった井伊谷城は、主人公、井伊直虎が女性でありながら城主を務めたことでも知られており、ドラマの中でもたびたび登場しました。

↑井伊谷城ロケ地となった高根城

今回は井伊谷城跡と、麓にある井伊家ゆかりの神社、二宮神社を調査!その結果をご報告いたします!

井伊谷城ざっくり歴史

万寿9年(1032年)に井伊家初代当主、井伊共保によって築城されたとされる井伊谷城は、標高110mのなだらかな丘の上に作られた山城です。
天正18年(1590年)に井伊直政が家康に従って関東に移るまでの間、井伊氏の居城として利用されていました。

その歴史をざっくり年表にしてみましたよ!

井伊谷城跡・二宮神社_おんな城主誕生の地、井伊谷城跡・二宮神社|ハマラボ[ハママツ研究所]
井伊谷城跡・二宮神社_おんな城主誕生の地、井伊谷城跡・二宮神社|ハマラボ[ハママツ研究所]

落城と奪還を繰り返しながら、井伊家発祥から550年余の歴史を繋いだ井伊谷城。
現在は井伊谷城跡城山公園として整備されているとのことなので、現地調査に行ってまいりました!

井伊谷を一望、井伊谷城跡に登る

井伊家の菩提寺、龍潭寺から北へ徒歩15分ほどの地点に、井伊谷城跡の登城口がありました。

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山頂の城跡まで舗装された山道を登っていきます。意外と急坂なので歩きやすい靴での登城がおすすめ!

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中腹には休憩所が2箇所と城山稲荷がありました。
こぢんまりとした拝殿はまだ新しく、改修されたばかりの様子。
井伊谷の町並みを眼下に見ながら、さらに登っていきます。

15分ほど登ったところで、かつて城の入り口である大手門があった虎口(こぐち)に到着。

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山頂には城跡のほか、展望台や顔はめパネルが設置されています。
平日にも関わらず見学に訪れた方々がいらっしゃり、直虎人気を改めて感じました。

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展望台からは、井伊家の領地であった井伊谷を一望することが出来ます。

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時代は違えど、直虎もこの景色を眺めていたのでしょうか。
中央に見える小さな森が龍潭寺や共保公出生の井戸があるあたり。
写真左奥が浜松市街地になります。
天気も良く、浜松のランドマークであるアクトタワーまで見渡すことが出来ましたよ。

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井伊谷城はどんな城だったのか

井伊谷城は山頂に土塁を巡らせるだけの簡単な構造で築城されていました。
そのため、大手門を抜けてすぐの平野部全体が本曲輪(本丸)として機能していたようです。
また、南東に向けられた大手門の延長方向には井伊氏居館が位置しており、城と居館が密接な関係をもっていたことがうかがえます。

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浜松市地域遺産センターにある当時の位置関係を再現したジオラマ

北側は一段高くなっており、木々が生い茂る中に「御所の丸」と書かれた碑がありました。

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ここは南北朝時代、井伊道正が後醍醐天皇の皇子、宗良親王を伊勢より井伊谷城へお迎えするために作られた御殿跡。
親王がいる場所であったことから「御所」として位置づけられていました。
その後親王は道正の娘を正室に迎え、宗良親王の子、尹良親王(ゆきよししんのう)も井伊谷城で生まれたと伝承されています。

さらに奥に進むと、三岳山が眺望できるポイントを発見。

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標高460mにもなる三岳山山頂には、井伊道正によって築かれたといわれる三岳城跡があり、国指定史跡に登録されています。
別名「井伊城」とも呼ばれた三岳城は、南北朝時代、井伊家の詰め城、つまり最終拠点としての役割を果たしていました。
直虎の生きた戦国時代には、井伊谷城、井伊家居館と並び井伊家の本拠地だったのだそう。
次回はぜひ三岳山も調査してみたいものですね!

井伊家ゆかりの神社

山頂から分かれ道を東へ下っていくと、二宮神社へ行くことが出来ます。

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二宮神社への道もなかなかの急坂

二宮神社は、平安時代、井伊豪を治めていた三宅氏が、その始祖である「多道間守」を祀ったとされる神社です。
至徳2年(1385年)に宗良親王が亡くなるとその尊霊を合祀。二つの神霊を祀るようになったため、それまでの「三宅神社」から「二宮神社」へと改称されました。

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1560年代には、大破した二宮神社を直虎の父、井伊直盛が再建したのだそう。

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境内には本殿のほかに、伊雑皇神社、神明神社、鎌足神社、鹿島神社、そして小野政次を祭神とする但馬神社が合祀された天王社がありました。
小野政次は井伊家臣でありながら、直虎を追い立て井伊谷城を専横、一時は城主でもあった人物です。永禄12年(1569年)に罪人として処刑されましたが、祟りを恐れて小野政次を祀る但馬社が建てられました。
大河ドラマでは高橋一生さんが好演し、この天王社もファンの間で人気を博しているのだそうですよ。

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こちらが本殿です。両脇の狛犬には、井筒に橘の神紋が彫刻されています。

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これは二宮神社の前身である三宅神社を創建した三宅氏の家紋の「橘」と、井伊氏の家紋「井桁」を合わせたもの。
橘の紋は「共保公出生の際、井戸のそばに橘の花があった」というエピソードから井伊氏の定紋としても有名ですが、その橘の花を常世(神)の国から日本に持ってきたのが三宅氏とされているのだそう。
由来は違いますが、井伊谷という土地が橘の花と縁深いことに間違いはなさそうですね。

井伊谷城を訪れた際にはぜひ、二宮神社もお参りしてみてくださいね。

結果報告

井伊谷城跡までの坂と階段は思っていた以上に体力を消耗します。
登城口にある「直虎ちゃんの杖」を借りて登るのがおすすめです。
井伊谷城跡には駐車場がないので、すぐ近くにある地域遺産センターの駐車場を利用します。地域遺産センター内では井伊谷城の再現ジオラマなども見られるので、予習してから登城するのもいいかもしれませんね。
山頂からの眺望は頑張って登ったかいがありますよ。ぜひ足を運んでみてください。

この記事を書いた人

ハママツ研究所
ハママツ研究所
浜松を愛し、浜松に愛されることを目指して日々研究に没頭中

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