浮世絵で知る旧東海道の宿駅 浮世絵美術館「夢灯」
公開日:2020/09/02
掛川市の浮世絵美術館「夢灯」は、旧東海道の小夜の中山峠に建つ、浮世絵を専門に展示する美術館。
江戸時代の後期に制作された東海道宿場の浮世絵が展示されています。
浮世絵美術館 夢灯
浮世絵美術館「夢灯」は、金谷宿と日坂宿の間にある東海道の難所、小夜の中山峠に建つ私設の美術館。
東海道五十三次とは?
浮世絵、東海道とくれば思い浮かぶのは「歌川広重の東海道五十三次」。
東海道五十三次って何を描いたものかご存知ですか?
江戸時代には、東海道を含む「五街道」という江戸の日本橋を起点とする5つの街道が整備されており、政府の知らせや物資伝達のための公用交通路として使われていたそうです。
東海道は「江戸から京都を結ぶ街道」で、幕府にとっても最も重要な街道とされ、当時は人々が頻繁に行き来していました。
実は、古代の律令時代(奈良時代)からその元となる道はところどころ開拓され存在しており、そうした古くから使われていた街道を新たに整備し直したのが、江戸時代初代将軍 徳川家康。
街道の一定距離に駅を配置、その駅に人や馬をおき伝言リレーのように情報を伝える駅伝制や、街道を歩く旅人の目印になるように1里(約3.927キロメートル)毎に塚を設置したり(一里塚)、道幅を広げて宿場を整備するなどの整備を行いました。ちなみに、五街道の起点を日本橋と定め幕府の主要交通路として関所を設けたのは二代目将軍 徳川秀忠の代。
五街道は、親子二代かけて整備された街道なんですね。
東海道を描いた浮世絵で有名な歌川広重の「東海道五十三次」は、この改革で東海道に設置された53箇所の宿場それぞれを、その土地の名所とともに描いたものなんです。
受付で入館料をお支払い。
入館料は大人400円、中高生200円(2020年8月現在)。
引き換えに目録と資料を受け取り中へ。
今回は、館長の武藤さんに解説を交えながら館内を案内していただきました。
館長さんの武藤さんは元学校の先生
粟ケ岳に臨むテラス
まずは、粟ケ岳がよく見えるテラスにお邪魔させていただきました。
気持ちの良いテラス
茶畑
─── うわ〜!いい眺めですねえ!!
武藤さん |
資料を見てもらいつつ、昔の粟ケ岳について解説しますね。 広重より36年前、北尾政美という人が東海道名所図会(とうかいどうめいしょずえ)という墨摺りの書物を出しているんですよ。その書物に載ってる粟ケ岳がこれです。 |
東海道名所図会の粟ケ岳
─── あ、この手前の山々じゃなくて、左奥のかわいい山?
武藤さん |
現在でも、お茶という文字の左側が林になっているでしょ。 昔はあのお茶の字はなかったんです。 おそらく、この林にはお寺や神社があったので木が切れなかったんじゃないかな。 |
─── そういえば、粟ケ岳の山頂には阿波々神社(あわわじんじゃ)がある!
武藤さん | で、これが大正3年の粟ケ岳の写真。 |
─── あ!あの絵にそっくりじゃないですか!この帽子みたいに林が乗っかってるところが絵のまんま。
武藤さん |
そう。だから、この絵もでたらめじゃないなとわかりますよね。 あの茶の文字はあの辺に木がなかったので昭和七年に植えたんですよ。 |
武藤さん |
粟ケ岳の右に同じくらいの高さの山がありますね?あの右の山は粟ケ岳のずっと奥の方にあるんですよ。一番低いのが粟ケ岳。 粟ケ岳の手前に丘のような小さな山がありますが、その山は「おはやし」って呼ばれています。 |
武藤さん |
この「おはやし」は、江戸時代は幕府直轄の御領林だったんです。 幕府の林ですから「御(おん)」と敬称をつけて呼びますね。 「御林 → おはやし」というように、そこから「おはやし」という地名になったんです。 |
浮世絵が並ぶ展示室
武藤さん |
当館は、広重、北斎、その他江戸時代後期の浮世絵師の「東海道の宿駅」の作品を中心に集めています。 私設の美術館ではありますが、収蔵作品は結構あり、全ての絵を飾ると700mくらいの壁が必要になる…(笑) |
─── そんなにあるんですか!?
武藤さん |
なので、一定の期間で展示する作品を入れ替えて、毎回テーマを決めて展示替えもしていますよ。 こちらの三つの作品は広重の三大傑作と言われているシリーズです。 |
武藤さん |
まずは、一番左端の作品。広重が38才のときに出した一番最初の東海道五十三次。 この作品で現在の広重の地位が確立しました。 |
─── これが出世作なんですね
武藤さん |
これを境に、広重だけでも20種類以上の東海道五十三次があり、作品ごとに名前をつけて区別しています。この一番最初のものは、出版元の名前をとって「保永堂版東海道」。 真ん中の作品は、9年後の47才の時のもの。「行書東海道」と呼ばれていますが、それは右上にある枠で囲ってあるタイトルが書道でいう「行書体」で書かれているから。 3つ目の一番右端の作品は、同じくタイトルの書体からとって、「隷書東海道」と呼ばれています。 |
─── へ〜!東海道五十三次と一口に言っても種類があるんですね。三つの絵にみんな夜泣き石が書いてありますね。
武藤さん |
この三つの絵は全て日坂宿の絵。ここは日坂なのでこうして三つ置いています。 日坂宿の名所名物は「夜泣き石」と「粟ケ岳」。だから、どの絵にも石と粟ケ岳が描かれているんです。東海道五十三次は、当時でいうガイドブックの役割も果たしていましたので、基本的には各宿の名所名物を描き入れます。 日坂の絵は常設に近い形で、なるべくいつ来ても見てもらえるように展示してあります。 |
見えないはずのものが描かれた宿駅の風景
─── 保永堂版東海道の絵だけなんか雰囲気が違いません?坂道だし、粟ケ岳も遠くに描いてある。
急な坂道と左奥にちんまりといる粟ケ岳(保永堂版東海道 日坂)
武藤さん | この絵は夜泣き石の位置が忠実なんです。 |
─── そういえば、今と昔で夜泣き石がある場所は違うのでしたね。昔は、「夜泣き石跡」ってところに石があったそうですね。
武藤さん | そうそう、夜泣き石跡。でもね、夜泣き石跡の地点からは粟ケ岳は見えないんですよ。 |
─── おっと? 保永堂版東海道はまだしも、行書東海道と隷書東海道はかなり大々的に粟ケ岳が背景に鎮座してますけど…。じゃあ、これは何処から見た景色なんだ?
粟ケ岳の目の前に夜泣き石(隷書東海道 日坂)
武藤さん |
東海道で実際に粟ケ岳がこのように美しく見えるのはね、まさに我々の立っているこの地点。 この石はこの地点から見た風景に“はめ込まれて”描かれている。 この絵にそっくりな景色を先ほどテラスで見たでしょう? おそらくですけど、この絵を描くにあたって、広重はこの辺の道でスケッチをしたと思うんですよ。 |
─── 江戸時代に広重がここで絵をかいた可能性があるんだ!
武藤さん |
だからね、ここら辺の場所は意味がある場所なんですよ。 ここに美術館を建てたのは、まず広重が筆を取ったかもしれない場所であること、江戸時代の旧東海道が残っていること、浮世絵に描かれているであろう場所だから。 それに、車の音がしないとても静かな空間でしょ?夏はセミの声、春はウグイスの声が聞こえてとても長閑な場所なんですよ。 |
─── 現場と絵を検証すると面白いなあ。探偵みたい。実際の場所を描いたであろう東海道五十三次だからこその面白さがありますね。
武藤さん | 現場と絵を検証すると面白いのが、この絵。 一見すると普通の絵だけど、実はデタラメ。美術作品にデタラメなんて言っちゃダメなんだけどね(笑) |
掛川
武藤さん |
どうしてデタラメだなんて言ったかを説明すると、一般的に東海道五十三次は“江戸から出発して京都に至る道”、つまりに東から西を向いた時の風景が描かれています。 じゃあ、この絵の笠をかぶって扇子を手に持っているお坊さんは西に進んでるか?東に進んでるか? |
─── 今の話を踏まえて素直に考えれば、東に進んでいるように思えます。
武藤さん |
でもね、これは西に進んでるとも言えるんです。 東海道を西へ進むと右側が北になります。 掛川まで進んでいくと北側に秋葉山の鳥居と灯篭があるんです。ここから秋葉山に行きますよっていう目印となる鳥居と灯篭。その灯籠を右手にして人々は西へ進んでいく。 |
─── 東に向かっているのであれば左に灯篭があるはず。
武藤さん |
この絵を見ると灯篭はお坊さんの右側にあるのがわかります。だからお坊さんは西に向かっているとも取れる。 でも、そうするとこの背景に描かれた秋葉山はなぜが南側に描かれている、ね? |
─── あ!あれ秋葉山なんですか?え〜!もう、わけわかんなくなってきちゃった(笑)
武藤さん | 絵の構図の都合で本来ならば北側にある灯籠を南側に“はめ込んでいる”んです。なぜなら、写真じゃない、絵だから。 |
─── 風景に忠実に描かれた部分もあれば、そうでなく絵としての構図を優先して、実際の風景にはないものが描かれていたりするってことか。面白い!そのことを教えてもらわなかったらこの絵を見ても何も思わなかったなあ。
武藤さん | このような絵の“はめ込み”、実は浜松宿の絵にもありますよ。 |
浜松
武藤さん |
この絵は天竜川を渡ったばかりの風景を描いた絵。 浜松の名物は「ざざんざの松」という松。 「ざざんざ」というのはね、浜松は風が強いでしょ? 風が松の葉に吹きつけた時の“ザァー、ザァー”と葉が擦れた音を表している。 |
─── からっ風と松の音かあ…!浜松っぽくていいなあ。
武藤さん |
この「ざざんざの松」が名所になったのは、室町幕府六代将軍の足利義教(あしかが よしのり)が、富士山を見ようとして旅に出た時に、ざざんざの松のもとで休憩したことで「将軍様がお休みになったところ」として名所になったんです。 でね、このざざんざの松は一体何処にあったのかというと浜松の八幡のあたり。 |
─── 八幡?天竜川緑地とかあの辺かと思った!街なかのほうだ。
武藤さん |
そう。こんな天竜川の近くにはないの。 ちなみに、右奥の立て看板の立っている松林が「ざざんざの松」。 |
─── こんなに近くには見えないはずだな〜(笑)これは、(創作を)やってますね。
武藤さん |
そう、やってる(笑) でも、当時の人は浜松といえば「ざざんざの松」だった。 その隣の舞坂の絵も面白いです。 |
史料を交え解説してくれる武藤さん
舞坂
武藤さん |
この絵はクセモノですよ(笑) 手前の棒は防波杭。船は漁船。浜名湖を描いた絵ですね。 右奥に描かれた白い山は富士山。じゃあ、手前のこの山は? 識者の解説でも、詳しく解説しているものが少ないんですよ。 |
─── えっと、富士山が向こうにあるから西から東へと描いた絵で…だから右側が湖口かなあ?
うーん、こんなところにこんなでっかい山あったっけ?(笑)
しかも、この山、背景にしては妙に存在感ありますね。浜名湖より目立ってる。
なんだこの山は
武藤さん |
他の舞坂を描いた絵にも必ずこの山は描かれています。 この山の謎はね、別の絵を見るとわかるんですよ。 「六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)」っていう書物で「六十余州」は日本全国のこと。つまり、日本全国の名所を集めたもの。 遠江の名所をこれで調べると…。 |
── 舞坂宿に描かれた山の謎は、浮世絵美術館「夢灯」にて実際の絵を目の前にして解説いただいてくださいね!
ここに書き切れないほどたくさんの面白い話を聞かせていただいたので、興味のある方は実際に行って話を聞くのが断然オススメですよ。
浮世絵一枚○○一杯分?虫眼鏡で覗き込む匠の粋
─── 人物画もコレクションされているんですね。
武藤さん |
人物の浮世絵はね、見て欲しいポイントがあるんです。 (虫眼鏡を取り出して)例えば、髪の生え際を見てごらん。 |
─── はっ!細かッ!本当の髪の毛くらいの細さだ。
武藤さん |
黒いところは墨がのっているところであり、版木を彫り残してあるところ。 白いところが彫ってあるところ。 |
─── うわあ〜!彫る人もすごいし、摺る人もすごい。
武藤さん |
この細かい彫りもそうだけど、擦る時もちょっと余分に墨を塗りすぎちゃうと溝に入っちゃう。 だからね、絵師が一番楽(笑) 摺師(すりし)もね、職人技が必要でカラフルな絵になると色ごとに版木が必要になってくるでしょ。 3、40回は色を変えて摺っていると思います。そうすると普通は版木がずれちゃうでしょう? だけども、輪郭線の外にずらさない、これが摺師ですよ。 |
白髪は髪の流れを表す灰色の微かな線が細かく摺られていた
武藤さん |
私共がやるとね、2回目でずれちゃう(笑) この髪の毛の部分は「毛割(けわり)」と言って、一番難しいから親方がやる仕事。ここを見ると、摺師の腕がわかります。 それと、グラデーションの部分、綺麗でしょ? 何度も何度も摺るうちに版木に色素が染み込んで色がついてきてしまいます。そうなると、自分のおいた絵具が見えなくなるので、着色加減が目視できなくなる。 これを習得してこそ一人前の摺師と言われているんですよ。 |
─── すごいな〜。当時の職人さんが腕のたつ職人さんだったのがわかりますね。
武藤さん |
職人さんもそうですが、当時の庶民の文化レベルもなかなかのもの。こういった浮世絵は、庶民のリクエストがあってこそ。 当時、浮世絵一枚は蕎麦一杯と同じ価格。西洋は貴族や僧侶などの特権階級の間で美術品が取引されていましたが、日本は蕎麦一杯分の価格を出せば庶民でも絵が楽しめたんです。 当時の庶民文化の基準は、世界と比べても高かったのだと思いますよ。 |
いや〜、面白かった!
東海道五十三次の絵を見てこんなに面白いと思ったのって初めてかもしれないです。
当時に想いを馳せるだけでなく、現代の景色と見比べて、絵の中の創作と実際の景色に忠実な点を探したり、もちろん史実を踏まえて考察したり…
ちょっと探偵気分を味わえるというか、当時のお決まりを知ることによって絵師の意図を感じることができるのがすごく面白かったです。
期間によって展示替えもされるようなので、タイミングによっては違う絵が楽しめますよ。
この記事を書いた人
- 猫と一緒に暮らし始め、猫アレルギー疑惑が払拭されました。猫の毛ってすごい空中に舞いますね。ふわふわ。
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