東海道袋井宿名物 たまごふわふわ

東海道袋井宿名物 たまごふわふわ

袋井市

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袋井の名物「たまごふわふわ」をご存知ですか?
なんとも素直で可愛らしい名前ですが、江戸時代のメニューを現代に復活させたものなんですよ。

「たまごふわふわ」の誕生は江戸時代。
江戸の日本橋から京都までを繋ぐ東海道五十三次の27番目の宿場、袋井宿で朝ごはんのメニューとして提供されていたそうなんです。

卵一個をまるっと使ったたまごふわふわは、その当時はとても高価な食べ物だったそうですよ。
弥次さん喜多さんの珍道中の「東海道中膝栗毛」や商人の升屋平右衛門重芳の「仙台下向日記」にも登場しているんだとか。

食べてみた

袋井市内で何店舗かで食べられるのですが、各お店によってそれぞれ味が違うそうです。

東海道袋井宿名物 たまごふわふわ|ハマラボ[ハママツ研究所]

私が食べてきたのは、法多山門前にある、お食事処 山田
2月16日から12月20日の平日のみ(イベント開催日と縁日は除く。)の販売なのでお気をつけください。

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メレンゲ状のたまごの下にはお出汁のきいたスープ。
ジャンルとしてはお吸い物とのこと。
上はふわふわなメレンゲ状態、熱々の出汁と接する部分は茶碗蒸しのような感じで美味しかったです。

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本当にふわふわだ〜

「東海道中膝栗毛」を少し読んでみましたが、弥次さん喜多さんが卵ふわふわを食べているのは藤枝でのことなんですね。
道中でトラブルになった親父さん(※)との仲直りの飲みの席で平碗にのって出てきたのが「たまごのぶはぶは(たまごふわふわ)」。
無事に二人が親父さんと仲直りできたのかはぜひ読んで確かめてくださいね。
※ 馬が跳ねたのに驚いた親父さんが北八にぶつかり、馬の小便の中に北八が転んで喧嘩になりました。

たまごふわふわを満喫した後は東海道をお散歩

たまごふわふわで温まった後は、弥次さん喜多さんの気持ちになって袋井の街を東海道に沿ってお散歩。
今回は、袋井宿の入り口からスタート。
袋井宿は江戸から数えて27番目、京都から数えても27番目の東海道の真ん中の宿なんですよ。
※ この散策は今年の2月頃に行ったものです。

天橋

袋井市役所を南に進むと見えてくる「これより袋井宿」の看板。

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あまはし

この「あまはし」の史跡は「天橋(阿麻橋=あまはし)」という橋があった場所で、袋井宿の東の入り口にかかっていた土橋(木でできた橋で渡るところに土をかけてならした橋)なのだそうですよ。

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弥次さん喜多さんの顔出しパネル

東海道どまん中茶屋

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こちらは、「東海道どまん中茶屋」。
初代広重の東海道五十三次袋井出茶屋ノ図に描かれた茶屋をモチーフにして建てられました。

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残念ながらお休みだった

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「東海道中膝栗毛」では、袋井宿は「両側には茶屋が賑わしく、往来の旅人が各々酒を飲み食事などをしている」と紹介されています。広重の袋井宿の絵より賑わっていたように感じますね。
ちなみに、弥次さん喜多さんは袋井でも何か名物を味わったのかなと楽しみに読んでいたのですが、お店に居合わせたお洒落風な関西方面出身の人とずっと吉原の遊女の話をしてました。
江戸時代のおじさんたちの見栄の張り合いを令和の時代に読む。う〜ん、感慨深いような、しょうもないような…。(江戸時代に書かれたものじゃなきゃあ、出来事としては本当にしょうもないのだった。)

袋井宿東本陣公園

更に進むと見えてくるのが「袋井宿東本陣公園」。
本陣は大名や公家、幕府の役人の宿泊施設
袋井宿には三軒の本陣が置かれていたそうで、東本陣、中本陣、西本陣と区別されていたそうです。
ここは東本陣があった場所。

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大名が本陣を利用するには、手続きが必要でした。
まず、大名側が本陣に休泊の予定を伝えます。利用可能ならば本陣から請書(うけしょ)を提出。
本陣は他の大名とバッティング(差し合い)してしまうのを避けるために先触れを出して、入念にお出迎えの準備をしたそうです。
利用には、予約が必要だったんですね。

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本陣の宿泊料は、定価が定まられておらずお気持ちで払うシステム(ご祝儀のような物らしい)。
お金だけでなくて、羽織や帷子(かたびら)、反物、色紙などで支払われることも多かったようです。

そのため、本陣の経営は大変だったそうですよ。
備え付けの碗や皿、屏風、布団、衣類は持ち去られてしまうことも(え!?)あり、「キセルは50本出せば10本帰ってくるのは稀」と言われるほどみんな持ち去ってしまうので、備品の補充にもお金がかかったそうです。

なんか大名行列のイメージ崩れるなあ。
持って帰っちゃうからって粗末な品を置くわけにはいかないし、幕府御用達のお宿も楽じゃないですねえ…。

現在は、石や芝で本陣の間取りが表されているそうです。

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井戸?

長細い間取りで、奥の方に本陣の運営と宿役人をしていた田代家の居住スペースがあったそうです。

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袋井宿場公園

お次は袋井宿場公園。
和風な雰囲気の公園で、袋井宿の雰囲気を取り入れているそうです。遊具はありませんでした。

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ベース型の石碑発見。

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明らかに東海道の宿場町とその順番だけど、一部しかなく、何のための石碑かはわからなかった。

へそ寺(観福寺)

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江戸からみても京都から見ても、東海道ど真ん中の袋井宿。
その袋井宿の真ん中にあるお寺なので「へそ寺」と愛称がついたんだそうです。

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この付近の道路には東海道五十三次の浮世絵のタイルがありました。

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観福寺は、奈良時代の延暦12年に建てられたお寺です。
本尊は観音菩薩ですが、境内には仏教版お稲荷様と言われる荼枳尼天(だきにてん)をお祀り。

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荼枳尼天にまつわる歌舞伎を紹介

木原一里塚

県道413号磐田袋井線から伸びる脇道の先に木原一里塚はあります。

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この看板が目印

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見付宿 宿境まで一里六町

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木原一里塚跡

民家の一角にあったのは「木原一里塚跡」。
本当はここに一里塚があったのですが、本物はもう今はなくなってしまいました。
現在では少し先の地点に復元されています。

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木原一里塚

木原一里塚は、江戸から数えて61里目の一里塚。
キロメートルに直すと239.564キロメートルの地点。

塚のてっぺんに植えられているのは(えのき)。
榎が深く根をはることで塚の土を固めて崩れにくくする狙いがあったようです。
榎の代わりに松を植えたところもあったそうですよ。

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大きい!

今は片方しかありませんが、当時は街道の両側に2つの塚が対に作られていたそうです。
街道の松並木の背後や街道から少し離れた地点に築かれ、旅路の目安や籠や馬の乗り賃の支払いの目安になっていました。
街道から塚までは小道が伸びていて、塚の近くまで行くことができました。
日差しの強い日は木陰の休憩所にしていたそうですよ。

当時の一里塚を忠実に再現するために、文献資料に倣い「塚の直径は五間(約9メートル)、高さは一間半(約2.6メートル)」。かなり、こだわって作られています。

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現代でもベンチがあって休憩できる

写真のベンチも復元塚の東隣を流れる磐田用水にかかっていた石橋の欄干の一部なんだそうですよ。

木原畷(きはらなわて)の古戦場 と 許禰(こね)神社

木原畷(きはらなわて)古戦場は、武田信玄と徳川家康が戦った場所。

戦国時代 文亀3年に、信玄は遠江国に進軍し、天方城、飯田城、各話城を攻め落とします。

さらに、鷲巣の久野城を攻めた後、東海道を西進してここ木原付近に布陣しました。これに対峙する徳川家康の家臣、内藤信成は磐田の三箇野台から偵察の兵を出し、ここ、木原の集落付近で戦闘となりました。

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今は許禰(こね)神社がある

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徳川家康公 腰掛石

関ヶ原の戦いの勝利祈願に許禰(こね)神社を訪れ、家康がここに腰掛けたとのこと。

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境内の案内によると、子供の御告げで出来た神社なのだそう。

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境内に池

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カエル

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本堂前

結果報告

東海道袋井宿の旅はこれにて終了。
結構、距離を歩いていい運動になりましたが、たまごふわふわだけだとちょっとお腹が空きますね。

実は私、「袋井温泉 和の湯」「遠州味処 とりや茶屋」でも、たまごふわふわを食したことがありまして…。
一番リーズナブルに気軽に食べれるのは、今記事で紹介させていただいた「お食事処 山田」。ついでに法多山も観光できます。
「遠州味処 とりや茶屋」は、熱々で出汁が本格的&かなり美味しい。人気店なのでお昼時は混みます。
「袋井温泉 和の湯」は、ふぐだしの効いたもので600円と高級。温泉もセットで楽しみたい人はここがオススメ。

旧東海道には袋井宿の名残が転々とあって、それを眺めながら歩くのはなかなか面白かったです。
曇り&冬と言うこともあり、とても寒くてじっくり探索できなかったのが少し心残り。
機会があれば、晴れた日にもう一度ゆっくり歩きたいですね。

たまごふわふわですが、再現メニューと創作メニュー含めて、袋井市内の10店舗で楽しむことができますよ。
さらに、自宅でも作ることが出来ます。袋井市のサイトでも作り方が紹介されていました。寒くなってくるとより美味しく感じるのでぜひご自宅でも。( 袋井宿「たまごふわふわ」/袋井市ホームページ: https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/kurashi/kanko_bunka/tokusan/taberu/1425446984685.html

おまけ

たまごふわふわをモチーフにした創作料理も。

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写真は、マドレーヌ屋 ラウンドテーブルの「たまごふわふわ」。

この記事を書いた人

さんかく
さんかく
猫と一緒に暮らし始め、猫アレルギー疑惑が払拭されました。猫の毛ってすごい空中に舞いますね。ふわふわ。

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