静閑な空間に佇む古刹 湖西の本興寺
公開日:2020/09/29
歴史あるお寺っていいですよね。
今回、ご紹介する湖西市の「本興寺」は、明治から大正にかけての日本を代表する詩人「北原白秋」と縁のあるお寺。
「この道」「ゆりかごのうた」「砂山」など童謡の作曲家として有名ですね。
北原白秋が鷲津に滞在した際に、本興寺の空気に触れ数多くの詩を残したそうですよ。
惣門から参道を歩く
駐車場
本興寺駐車場で車を駐め、惣門からお寺の境内に入ります。
駐車場は無料です。
境内マップを発見
惣門
立派
この惣門は、元三河吉田城の城門だったものを、江戸時代に移築したものなのだそうです。五色の暖簾に飾られ趣があり、門をくぐる前からワクワク。
真っ直ぐに伸びる参道
惣門をくぐると見えたのがこの参道。真っ直ぐ、そして遠い!
境内の広さに今更ながら驚く。
境内マップで見るよりずっと長い!
参道脇にはいくつか建物がありました。
自動車が止まっていたりするので関係者の方が住んでおられるのかもしれません。なんとなくですが、ズカズカと上り込むのは失礼な気がしたので門だけ撮影して先へ進みます。
東光院
光明院
玉葉院
長勝院
長勝院の門前には「朱雀石」という真っ赤な石がありました。
名前もカッコよく何とも厨二心をくすぐるぜ…。
大書院入り口
「大書院&奥書院」と「庭園」は拝観できるようなので、本堂お参り後に行ってみようということに。
書院前には公園
お寺の中に公園、しかも広い!
調べたところ、本興寺は桜の名所でもあるそうです。
数百本の桜が境内にて咲き乱れるとのこと。
この公園も格好のお花見スポットになりそうですね。
茅葺き屋根が美しい本堂
この先が本堂
これは
呪術的でエキゾチックジャパン
本堂保存修理の改築工事が完成した祝いの塔の様子
北原白秋の歌碑
「水の音ただ一つぞ聞こえける その外は何も申すことなし」
この詩は、北原白秋が本興寺の閑静な佇まいを詠んだもの。
昭和の俳人 星野立子の歌碑も
手水舎がワイルド
本堂前の両脇にそびえるのは開山杉。
南北朝時代に、門祖である日陣聖人が東海地方を旅し説法をした時に、植えられたそうです。
茅葺き屋根
お賽銭は靴を脱いで本堂に上がる
「お邪魔しております…なむなむ…」
せっかくなので回り廊下を一周
美しい
本堂を堪能したところで、本堂周りの建築物を拝見。
大きい鐘楼
三十番神堂
三十番神堂は、30日間日替わりで国を守る30の守護神を祀る建物。戦国時代に建てられ江戸時代に再建されたものだそうです。
弁天堂
大黒堂
客殿
中門は来年の3月まで工事中
客殿の奥の建物が千仏堂という千体の仏様が安置された御堂らしいのですが、お墓の前なのとお墓参りの桶とかの置き場だろうと思って見に行きませんでした…。なんたる失態。
そして、千仏堂のまた奥には徳川家康の最初の側室である、西ノ郡御前のお墓があるそうです。またの機会があったら見に行こう。
大書院と奥書院
本堂側から見た参道
さあ、長い参道をてくてく帰る前に、書院を拝見。
まずは方丈の受付にてチケット購入
大人300円 中学生以下150円
おみくじも
紋がハートでかわいい
四季山水を描いた障壁画
まずは大書院、住職謁見の間手前の部屋から拝見。
ガオオ
板戸絵には、江戸時代に当院に滞在した 岸良 作の「双龍争珠之図」(岸良は江戸時代後期の絵師で岸駒に師事した)。
壁面二枚を使ったダイナミックな作品。
ありがたい教えが書いてある本
さらに先に進み、対面の間に入室。
花鳥図屏風
対面の間真正面に見えるのが謁見を行った際に住職が座った文晁の間。
「文晁」その名も「谷 文晁」、江戸時代後期の画家です。
この文晁の間に描かれた水墨四季山水障壁画は県指定の文化財にも認定されており、文晁晩年の傑作と言われているんです。
この文晁の絵が有名なあまり、本興寺は別名「文晁寺」とも呼ばれているほどなんですよ。 「カラス文晁」と呼ばれる有名な文晁の落款と水墨四季山水障壁画は、実際に本興寺に行ってご覧くださいね!
文晁の間にひっそりと北原白秋愛用机発見
小堀遠州作の庭園
大書院から奥書院と繋ぐ外廊下に出ると庭園が目の前に広がります。
庭園は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した小堀遠州作。
かなり多彩な人だったようで、大名、茶人、建築家、作庭家、書家と肩書きがオールラウンド。茶人でもあった小堀遠州の美意識は造園にも生かされ、名園を各地に残しています。
夏の終わりは、よく育った植物が蒼青
外廊下を歩き、奥書院を散策。
歴史的史料を読み解く奥書院
大書院と奥書院を繋ぐ通路には、惣門改修の際に発見された物が展示されていました。
中でも親しみが湧いたのが、下の写真の江戸時代の職人さんの描いた絵。
蟹か?と思ったら蜘蛛の絵らしい。「雲」の字を知らない職人さんが描いたものなのだとか。
いや、どう見ても蟹に見えるぞ
なんで瓦に蜘蛛なのかと気になり後で調べたところ、鬼瓦などでも雲をモチーフとした造形を取り入れることがあるそうです。
雲は水を呼び雨を降らせるので、家屋を火災から守るという願いが込められているんだとか。
この蟹のような蜘蛛も職人さんのおまじないみたいなものなのでしょうか。雲のじゃなく蜘蛛にあえてしたところに茶目っ気を感じました。
2001年には、時代劇の「宮本武蔵」のロケが行われた
奥書院でも、庭園を別の角度から眺めることができます。
この奥書院は、惣門と同じく三河の吉田城から移築されたものなのだとか。
また違った風景になる
徳川幕府との関わり
徳川家康から十万石の御朱印地(幕府により寺院の領地の認定を受けた土地)をもらい、葵の紋の使用を許されるなど徳川幕府とはゆかりの深い本興寺。
籠
この籠は人用ではなく、何とその御朱印状を運ぶための籠。
書状を運ぶために籠まで用意されていたとは!
さらに隣の部屋には、徳川家の位牌も。
徳川家康公以降の歴代の位牌たち
上段の金色の位牌は歴代の将軍、下段の両脇の黒い位牌は、家康公の側室西ノ郡御前と小田原城主 大久保忠世及び鵜殿休庵の位牌。
御内仏
家紋部屋
北原白秋の言う通り、落ち着く雰囲気
境内の静けさや落ち着く雰囲気は、白秋の詩に歌われていた通りでした。
この心落ち着く空間が多くの芸術家や文化人にインスピレーションを与えたんですね。
縁側に座って庭を眺めているだけで癒されます。
方丈にある受付では、お土産も販売。
何と、ここにも子育て飴を発見!
げんこつ飴のような子育て飴。
言い伝えによると…、
その昔に臨月の妊婦が亡くなり箕輪の「おと山」というところに墓を立てて葬りました。
同じ村に一件の古い飴屋があり、その飴を滋養飴と言いました。その飴屋へ、その頃から毎晩、見慣れない女が飴を買いに来るようになりました。
無駄口きかずそっときては音もなく去って行く女を不審に思った飴屋の主人は、ある夜に女の後をつけていきました。おと山の墓地までくると女の姿はふっと消えてしまいました。不思議に思い、女を探すと小さな穴を見つけました。
翌朝、村人たちとその穴を掘ると中からまるまると太った赤子が出てきました。その赤子の周りには空っぽになった飴の袋がいくつも散らかっていました。
飴屋たちは早速、先日亡くなった女の主人に赤子を届けました。女の主人は確かに私の子だと涙を流して喜んだそうです。
この子はその後、成長し本興寺の第十七代住職日観上人となられたそうです。
昔話で赤ん坊、飴で育ちがち。
掛川の日坂の子育て飴は水飴がスタンダードのようですが、ここ本興寺の子育て飴は固形なんですね〜。意外と色んなところに子育て飴の伝説が残っているようです。
本興寺のお話での赤ちゃんは、お腹の中で生きていることに気付いてもらえず波乱万丈な出産を迎えましたが、最後は住職になるサクセスストーリーでした。気がついてもらえてよかった!
この記事を書いた人
- 猫と一緒に暮らし始め、猫アレルギー疑惑が払拭されました。猫の毛ってすごい空中に舞いますね。ふわふわ。
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