方広寺で五百羅漢の森を巡る
公開日:2017/07/13
大河ドラマの影響で龍潭寺など浜松の様々な寺院にスポットライトが当たる昨今、今回は北区引佐町にある方広寺を調査。その歴史、由来から境内に点在する石像の秘密まで研究した結果をご報告致します!
方広寺とは、臨済宗方広寺派の大本山。1371年にこの地の豪族奥山六郎次郎朝藤(おくやまろくろうじろうともふじ)の開基により、後醍醐天皇の皇子、無文元選禅師を開山として創建されたといわれています。
本堂までの道のり
五百羅漢
車を降りてまず出迎えてくれたのはこの石像。
境内に足を踏み入れるや否や、木々の間や石垣の上など至る所に石像があり、よく見ると一つ一つ表情やポーズが違います。
この石像は「五百羅漢」と呼ばれるお釈迦様の弟子を模したもの。釈迦入滅後、教典編纂の第一結集、第四結集に500名の仏弟子達が集まったことに由来します。
大本山である方広寺には多数の羅漢様が安置されており、「御開山無文元選禅師が故事にちなみ、当山に五百羅漢の石像を安置することを発願されました。多数の方に寄進を願い、明和7年(1770)、500体の羅漢さまが安置されました。」という旨の記録も残っています。
すべて見て回ると、必ず自分に似た像が見つかるとも言われているそう。
なんだか楽し気。これはハマラボ研究生に似ているかもしれません。
三重塔
駐車場の付近には、三重塔がありました。
本堂からは少し離れていますが、こちらは1923年、1918年より9年間方広寺の管長を勤めた故間宮英宗の発願で京都の篤志家、山口玄洞氏の寄進により建立されたもの。
山口氏は大阪の羅紗問屋として、第一次世界大戦停戦で倒産者が相次ぐ中も社業を発展させており、この三重塔は「倒産よけの塔」として全国の財界人がお参りに来ているそうですよ。
故事を知ってから見るとより堂々とした佇まいに感じます。
駐車場からは、ゆるやかな下り坂になっていました。
遠くに本堂が見えます。
下っていく最中にもたくさんの羅漢様。
この空を見上げる物思い顔。なかなか味があります。
少し歩くと見えてきたのは小さなお堂です。
ここは七尊菩薩堂。名前の通り、富士浅間大菩薩・春日大明神・伊勢大神宮・稲荷大明神・八幡大菩薩・梅宮大明神・北野天満大自在天神の七尊菩薩を合祀した鎮守堂です。国指定の重要文化財で、1401年に建立した県下最古の木造建築です。
柿葺の造りは、鎌倉末期の様式を今に伝えています。
趣のある橋を渡ると、森の中に出ました。
今までよりさらに多くの羅漢様。神聖な雰囲気に少し畏怖してしまいます。
大きな鳥居や、ヤツデの葉を思わせるような石碑がありました。
石橋の上にも羅漢様。
この石橋には、「見るたびに石像の数が変わる」という不思議なうわさもあるそうです。この日の写真には5体写っているものの、方広寺公式HPでは4体しか確認できませんでした。これは追加調査が必要かも…?
方広寺の守り神
本堂
さらに歩くとようやく本堂が見えてきました。
本堂のそばには大きな鐘楼もあります。
1731年に建てられた本堂は、数度の山火事による類焼をうけ、現在の本堂は1905年、当時の管長長山虎壑の発願により1915年に完成したもの。間口32m奥行27mの大きさは東海屈指の建物です。
中には本尊である釈迦如来、脇侍に文殊・普賢の二菩薩が安置されており、1354年に仏師「法橋院遵」「法眼院廣」「法印院吉」の3人によって彫刻された木像だそう。
元禄の頃水戸の徳川光圀(黄門)の命により修繕した、と背面に誌されています。
もとは茨城郡古内村の清音寺に祀られていたものを明治末にこの方広寺に移したので、水戸の黄門様とも関わりがあるようですね。
西側の”勅使玄関”は、当山が皇室ゆかりの寺ゆえに、しばしば勅使の参向を受けており、その際、勅使が出入りした玄関でもあるそうです。
2010年には100年ぶりの大改修工事と耐震工事が行われました。
方広寺の鎮守
方広寺の鎮守は「奥山半僧坊大権現」という火事を防ぐ火伏せの神様です。
伝えによると、方広寺の開祖である南北朝時代の僧、無文元選禅師は中国の元に渡り、各地を巡って参禅を行いました。
そして日本への帰国の途中、東シナ海で台風に遭遇します。
嵐のなか、今にも大波に飲み込まれそうな船中で禅師が観音経を唱えていると、鼻が高く眼光の鋭いひとりの異人が現れました。この異人が「わたしが禅師を無事、日本にお送りします」と、船頭や水夫を指揮して台風を見事乗り切り、博多の港へと導いて姿を消したのでした。
その後、禅師が方広寺を開くと、その異人が再び姿を現し「弟子になりたい」と願いました。禅師は「あなたは、半ば僧のようなところがある」と言われて弟子になることを許し、そこから「半僧坊」と呼ばれ修行に励むことになりました。
禅師が亡くなると「わたしがこの山と寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除きましょう」と姿を消し、半僧坊大権現となって方広寺の鎮守として祀られているということです。
その姿はいわゆる鼻高天狗とされていて、また後年に誰もその姿を見たことのなかった半僧坊大権現の像を造ろうとしたとき、仏師の夢枕にひとりの翁が現れて「大権現の姿は、(日本の神話に伝わる)鼻の高い猿田彦のようである」と告げたという伝説も遺ってるとか。
なるほど、どうやら山の中のヤツデの葉を思わせる石碑は鎮守である「奥山半僧坊大権現」に関わりがありそうです。
後ほど調べてみると、神奈川県の鎌倉にある臨済宗建長寺派大本山、建長寺の中にも「半僧坊大権現」を祀る天狗ゆかりのお寺があり、方広寺鎮守と関係があるようでした。
建長寺とあれば大寺院ですから、行ったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
本堂の中からもたくさんの羅漢様が見えます。
きれいな枯山水のお庭も見えました。
方広寺の境内は広大で、まだこの他にも火伏せの神様「奥山半僧坊大権現」の信仰にまつわる山火事から不思議に焼け残った「延命半僧杉」や、無文元選禅師を祀った開山堂、朱塗りの立派な山門などたくさんの見どころがありました。
まだまだ調査の必要がありそうですが、今回の報告はここまで。
石像に見守られたお寺は全体的に神聖な雰囲気が漂っていました。
御本尊様は釈迦如来ですが、鎮守として神様がいたり、その神様に天狗のうわさがあったりと
何だかまだまだ面白い発見が出来そうな、パワーのあるスポットです。
森の中は木陰になっていて涼しいのでお散歩がてら参拝してみてはいかがでしょうか。
この記事を書いた人
- プライベートは全力、仕事はそつなく、脱力系女子。
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