ホンダの創業者の生き様を伝える 本田宗一郎ものづくり伝承館
公開日:2021/07/08
今回、ご紹介するのは“世界のホンダ”でお馴染みの日本屈指の大手輸送機器メーカー、本田技研工業株式会社の創業者である本田宗一郎氏のミュージアム「本田宗一郎ものづくり伝承館」。
本田宗一郎氏(以下:本田宗一郎または宗一郎)の故郷が天竜だったこと、ご存知でしたか。
本社が東京にあるので関東出身だと思っていた方も多いのでは?
宗一郎の偉業や人柄を後世に伝える 本田宗一郎ものづくり伝承館
静岡県磐田郡光明村(現:浜松市天竜区山東)に生まれ、15歳で東京に修行に行くまでの16年間を天竜で過ごしたんだそうですよ。
本田宗一郎ものづくり伝承館では、バイクをはじめとした製品や名言を展示。
本田宗一郎の「ものづくりの精神」を現在に伝えています。
本田宗一郎ものづくり伝承館
スクラッチタイル貼りのレトロで可愛い建物は旧二俣町役場庁舎。
建物外観はそのままに、内部を改装して晴れてミュージアムとしてオープンしました。
入り口にかけてある看板は、本田宗一郎が通っていた小学校にあったマキの木を使用しています。
樹高約10メートル、樹齢は200年以上の大木で、本田宗一郎が遊んだ木として大切にされていましたが、2009年の10月に来た台風でなんと倒れてしまったとのこと。
その木を一部譲り受けて看板に利用したんだそうですよ。
建物を入って最初に目に飛び込んできたのは「入場者20万人達成!」の文字。
県内外から多くのファンが訪れるとのことで、バイク好きの聖地の一つとなっています。
展示は一階と二階のフロアにあり、宗一郎の関わったバイクやその他製品や遺品などの展示のほかに、宗一郎のものづくりの精神を紹介しています。
入場料はなんと無料!なんてありがたい施設なんだ…!
一階の入り口付近の受付にて観覧券をいただき、早速展示を拝見。
観覧券
一階展示フロア
二階展示フロア
展示は一階と二階のフロアにあり、一階には、本田宗一郎が関わった製品関係。
二階には、遺品などの展示や図書や映像などのアーカイブと地域の作家さんたちが展示やワークショップを行うスペースがあります。
宗一郎が関わったバイクや製品を紹介!
一階のメイン展示フロアで出迎えてくれたのはバイクを始めとしたホンダ製品たち。
展示室真ん中のバイクたちは、栃木県にあるホンダコレクションホールから貸し出された展示品で、4、3ヶ月毎に入れ替わるんですよ。どんな展示品が届くかは届いてのお楽しみ♪
過去の生誕110年の年には、車(ベストセラーの軽自動車 N360等)も来たことがあるのだとか。
私たちが訪れた際には、5台のバイクが展示されていました。
カラフルな車体で目を引いたのがホンダ タクト シリーズのバイク達。
かわいい〜
上の写真の向かって左から、
- ・ホンダ タクト – 1981年(昭和56年)
- ・ホンダ タクト アイビー – 1986年(昭和61年)
- ・ホンダ タクト トラッド – 1986年(昭和61年)
- ・ホンダ タクト – 1989年(平成元年)
初代タクトが誕生したのは1980年。
1980年代に巻き起こったスクーターブームの火付け役と言われています。
バイク初心者でも簡単に乗れるタクトは大人気。それまでバイクに関心のなかった層を取り込み、庶民の足として愛されました。
コレクションホール貸し出しの最後の一台は「ホンダ ベンリイ CB92 スーパースポーツ」。
ホンダ ベンリイ CB92 スーパースポーツ
こちらは1959年発売で、初めて「CB(4ストロークガソリンエンジンを搭載するオートバイシリーズ)」と名付けられた市販スポーツモデルの元祖となるバイク。通称「ベンスパ」。
ホンダ量産車の中で、最初にエンジン回転数が一万回転を超えるパワーを持った名車です。
浅間火山レース(全日本オートバイ耐久レース)の125ccクラスで、市販車(レーシング専用マシンではない)であるにもかかわらず優勝。
これをきっかけに一段と人気に拍車がかかりました。
こちらの年季の入った一台に装着されているのは、1949年発売の自転車用補助エンジン「ホンダC型」。
ホンダC型
「ホンダ“C型”ということは、A型やB型があるのか?」と予想できますが、その通り。
宗一郎が初めて自転車用補助エンジンを開発したのが1946年のこと。
それまでは、旧日本軍が放出した6号無線機のエンジンを組み立て直し、再利用したものを自転車につけて販売していましたが、やがて軍放出のエンジンが底をつき、自社開発に踏み切りました。
初めて開発したエンジンは「エントツ型」と呼ばれましたが、市販はされずに終わります。
そして、その翌年の1947年に発売されたのが「ホンダA型」。
翌年のプロトタイプ(市販されなかった)「ホンダB型」を経て、「ホンダC型」が生み出されました。
これらの補助エンジン付き自転車は、そのエンジン駆動音から「バタバタ」「ポンポン」などと呼ばれ人々から親しまれました。「ポンポン」は浜松周辺ならではの呼び方なんだそうですよ。
ホンダの自転車用補助エンジンといえば、「白いタンクに赤いエンジン」でお馴染みの「カブ号F型」が有名ですよね。
カブ号F型
ホンダの“赤と白”のイメージカラーの元にもなった自転車用補助エンジン「カブ号F型」は、初代「エントツ型」エンジン開発から6年後の1952年発売。
エンジン、ガソリンタンクにデコンプ・クラッチレバー、スロットルレバーがついており、チェーン駆動で動かす仕様。
走り方は、以下の通り。
- ①まず、手元のデコンプ・クラッチレバーを押さえ、クラッチが繋がれていない状態にします。
- ②その状態で、自転車にまたがりペダルを漕ぎます。
- ③しばらく走って安定してきたところでレバーを離し、クラッチを繋ぎエンジンを稼働させます。
- ④スピードに乗ったところでペダルをステップ代わりに足を乗っけて操縦します。
見た目は自転車ですが、エンジン音はバイクのそれ。
最高速度は35km/hほどで、この速度が原付一種の法定速度の基準になったとも言われているんですよ。
YouTubeのホンダコレクションホールのチャンネルで走行している姿をみることができます。(Honda Collection Hall 収蔵車両走行ビデオ バイク編:https://www.youtube.com/playlist?list=PLPhcsmW2rf5mJA-uJluPnNtW-EPi6tRc9)
さらに、ホンダといえばやっぱり「スーパーカブ」ですよね。
こちらは1958年発売の初代「スーパーカブC100」。
日本の悪路でも負けない、それでいて小回りの効く50ccクラスの小型バイク。
それまでになかった高性能で低価格のこの名車は爆発的ヒット。ホンダのベストセラーとして今も愛されています。
エンジンを露出させないデザインは可愛らしく、また昇降性にも優れていて、女性受け抜群。
柔らかなボディはポリエチレン樹脂。当時の製造メーカーは、バイクのような大きな成形をしたことがなかったそう。また、タイヤも当時は大量生産されていなかった小径タイヤ。当時としての最新技術が詰め込まれた製品だったことが伺えます。
可愛らしい見た目に反し、エンジンは高出力。低速で粘りのある安定した走りで、実用として“使える”バイクが完成しました。
その他にも、ペダル付きモペッド「リトルホンダP25」やレジャーバイクの「モンキーZ50A型」なども展示。
傷だらけの手からものづくりの精神を知る
一階の入り口にあるのは、本田宗一郎の左手。
1982年(昭和57年)執筆の著書、「私の手が語る」の巻頭で紹介されたものです。
その傷の多さに苦労の多さを想像しますが、キャプションを読むと「ハンマーでつぶした」「忘れた」など非常に淡々としていて面白い。
どうやって怪我したのか忘れたものもあり、ご本人は意に介していない様子。
「私の手はそんな私がやってきたことのすべてを知っており、また語ってもくれる。私が話すことは、私の手が語ることなのだ。ー(私の手が語る)より」
実物には、この3倍は小さい傷があるそうで「みんな私の宝物だ」と著作に書いています。
経験やチャレンジ精神を重んじた宗一郎らしい言葉にものづくりの大変さや面白さが詰まっていますよね。
また、その手よりも大切な存在として、二人三脚でホンダを引っ張ってきたパートナー、元副社長の藤澤武夫のことを挙げているのもすごく良いなあと思うのでした。
「私の手が語る」、とても良い本なのでぜひ読んでみてくださいね。
ふるさと天竜で元気に過ごした少年時代
本田宗一郎は磐田郡光明町(現 浜松市天竜区山東)に明治39年(1906年)に生まれました。
東京の自動車修理工場へ修行に行くまでの16年間を光明町で過ごしており、子供の頃の悪ガキぶりは数々の逸話になっており、その頃から存在感は抜群。叱られない日はなかったそうですよ。
昔の勉強机風の「宗一郎のいたずらノート」の閲覧コーナー
机の上の冊子には、幼い宗一郎少年の数々の武勇伝を掲載。
つい微笑んでしまうというか、無茶苦茶やるなあ!と笑ってしまう話ばかり。
武勇伝の数々
机の引き出すを開けると、父である儀平の仕事道具が展示されていました。
父 儀平は元鍛冶屋で腕のいい職人さんだったそうです。腰を痛めたのをきっかけに自転車やを副業でやるようになり、やがて自転車屋として成功を収めました。
幼い頃から父の仕事場を遊び場としていた宗一郎ですから、きっとこういった道具も幼い頃から慣れ親しんでいたんでしょうね。
わずか3歳でこれらの道具を使っておもちゃを作っていたという話もあるくらいでその才能の萌芽の速さに驚くばかり…。
小学生の時は、理科は好きだったそうで蒸気機関を作ったりなどの実科が得意だったのだとか。
ただ、作文が苦手だったので試験の結果は芳しくなかったそうですよ。
ホンダの技術力を世界に① マン島TTレース
マン島TTレースの展示
マン島TTレースとは、イギリス王室属国のマン島で開催されるオートバイ競技。
サーキットではなく公道を走るレースは、世界で最も危険な競技ともいわれており、走行スピードも命懸け、死者が出るほどレーサー達はしのぎを削ります。
マン島TTレース出場に向けての宣言文
こちらは1954年(昭和29年)3月に宣言されたマン島TTレース出場に向けての宣言文。
宣言文が社内に発表された当時、日本のオートバイの性能はやっと世界の水準に追いついた程度。
マン島はおろか、世界のレースをみた人間が社内に誰一人いない時の話であったそうです。
宣言文を発表した翌年に、初めて宗一郎はマン島世界グランプリレースを見学。
宗一郎の予想を遥かに上回る、世界の名だたるメーカーの実力を見てその差に愕然。
「これじゃあ、とても叶わないと思ったね。一生の不覚だ。あんなこと言わなきゃよかった。キジも鳴かずば撃たれまいに ー(ホンダ50年史より)
」
と後にその時のことを語っています。
国内で開催されるレースに出場したり、レーサー研究、設計、開発を担当する技術部第2研究課の設置するなど、社内一丸となって努力を重ね、1959年(昭和34年)6月にマン島TTレース初出場を果たし、見事6位に入賞。
TT宣言から4年、エンジンの出力はリッター当たり倍以上の力が出るように進化していました。
それから2年後の1961年(昭和36年)、念願のマン島TTレース初優勝を果たし、名実ともに世界のホンダに輝いたのです。
トロフィー
マン島TTレースの“TT”は“Tourist Trophy”(ツーリスト・トロフィー)の略。 トロフィーにはギリシャ神話のヘルメスがあしらわれていました。 ヘルメスといえば、旅人や伝令使の神様。ツーリストは旅人の意味かしらと思ったのですが、遠征するスポーツ選手という意味のようです。
ギリシャ神話のモチーフといえば、ホンダバイクのエンブレムである翼のマーク。
ギリシャ彫刻サモトラケのニケの翼(ニケは勝利の女神)に世界に羽ばたくHondaの姿を重ねてシンボライズしたものなんだそうですよ。詳しくはこちら(フィロソフィー | バイク | Honda:https://www.honda.co.jp/motor/philosophy/?from=motornavi_header)
ホンダの技術力を世界に② CVCCエンジン
世界的に自動車の排気ガスによる大気汚染が問題になり、アメリカでマスキー法(排気ガスに含まれる有害成分を5年間で1/10に減らす旨の修正案)が制定。
当時は達成不可能だと思われていたこの厳しい規制をパスした世界初めてのエンジンを、ホンダが一番最初に作り出したのをご存知ですか。
ホンダCVCCエンジン
CVCCエンジン開発の糸口となったのは、実はスピードレースでのエンジン開発。
いかにスピードを出すかというのは、突き詰めていうと「いかにエンジンにたくさんガソリンを食わせるか」ということ。大量のガソリンを効率よく燃焼させるのは難しいことなのだそうですよ。
その研究テーマを逆転の発想で考え、「少ないガソリンで燃費のいいエンジン」という省エネエンジン「CVCCエンジン」が考え出されたんです。
どんな研究がどこで生かされるかは最後までわかりませんね。
柔軟な思考と常に先駆けた挑戦をしてきたホンダだったからこそ成し遂げることができたんですね。
遺品や著作からその人を知る
関連書籍のコーナー
建物内で閲覧自由の関連書籍コーナー。
児童書籍や本田宗一郎自身が執筆した本、ホンダ関連に限らず自動車にまつわる本など幅広い書籍コレクション。ここにある本を読みこむと、さらにホンダに詳しくなれちゃいますよ。
また、本棚の上に絵画が飾ってあるのですが、これ全部本田宗一郎その人の作。
上手い
どちらかというとエンジニア・職人気質なイメージがあったので、絵に漂う優しげな雰囲気に驚きました。
なんと絵を始めたのは社長を退任してから(!)だそうなのですが、日本画家の興津漁春先生に絵を習っており、すごく熱心に絵の練習をしていたそうですよ。
よく写生に出かけ浜松にも来たことがあるのだとか。
その時は二俣城をスケッチしたそうで暑い中没頭して絵を描いていたそうです。
二俣城の絵はここにも飾ってありましたので気になる方はぜひ当館でご覧くださいね!
来館の記念にお土産を♪ ミュージアムショップ
さて、展示を全て見終わった後にチェックしておきたいのがミュージアムショップ。
ミュージアムショップ
一見、写真と見間違うほど精巧に描かれたこちらのイラストは、国産モーターサイクルを画題とした図版を制作する柴田製作所作。
近くで見ても写真のようなすごく丁寧に描かれたものなのにお値段は1000円以内!
バイクマニアでなくても一枚欲しくなります。
ショップで一番人気なのが手ぬぐい。
その中で一番人気はやはりバイク柄。
2021年の新デザインも(紺色のもの)
ご本人柄も
浜松にはまだまだゆかりの地があります。
ゆかりの土地を訪ねて本田宗一郎その人の軌跡を追いました。
今記事と併せてご覧いただけたら幸いです。
展示、非常に面白かったです。バイクに詳しくなくても楽しむことができました。
ミュージアムの中はとても綺麗で居心地が良く、落ち着いた空間。
その中で燦々と輝くバイクに心ときめきました。
個人的にはお土産コーナーのグッツが可愛くておすすめ。
超リアルなバイクの絵、ずっと見てられますね!
関連著作もたくさん揃えてあり、ホンダや本田宗一郎のことを調べる際にはぴったりな施設ですよ。
天竜に行った際は是非行ってみてくださいね!
ASIMO
2000年発表のASIMO。ユニークな動きが話題になりましたね。
ASIMOもホンダ発なんですね!
この記事を書いた人
- 猫と一緒に暮らし始め、猫アレルギー疑惑が払拭されました。猫の毛ってすごい空中に舞いますね。ふわふわ。
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