三方ヶ原の戦で徳川が本陣を置いた鳥羽山城跡 「鳥羽山公園」

三方ヶ原の戦で徳川が本陣を置いた鳥羽山城跡 「鳥羽山公園」

浜松市天竜区

三方ヶ原の戦で徳川が本陣を置いた鳥羽山城跡 「鳥羽山公園」 三方ヶ原の戦で徳川が本陣を置いた鳥羽山城跡 「鳥羽山公園」 三方ヶ原の戦で徳川が本陣を置いた鳥羽山城跡 「鳥羽山公園」

天竜川と浜松を一望できる展望台のある「鳥羽山公園」に行ってきました。
今は公園と呼んでいますが、かつては「鳥羽山城」という山城があった場所なんですよ。
最近では、今年(2021年)の3月に新たな石垣が2箇所発見され、静岡新聞でも取り上げられ話題になっていました。
また、鳥羽山公園は桜の名所とのことで、桜を楽しむことができるそうなのでいってみました!

踏切をわたって山を登ると駐車場に到着!

鳥羽山東側から鳥羽山公園駐車場までを目指す際に注意したいのが、踏切手前で現れる三叉路。

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ここを左折するのだが…

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手前を曲がってください!

看板を識別できる距離に車を進めた時には既に手前の道は通り過ぎているという…(笑)

以前、鳥羽山公園に遊びにきたハマラボスタッフの一人は、ここを曲そびれた挙句、看板も見逃したために、グルグルと車を走らせる羽目になり、結局公園にたどり着けぬまま、「城は一体どこに消えたんだ?」と神隠しにあった気分で帰路に着いたそうです。これぞ、徒労。

看板の言う通りに手前の道を左折し、天浜線の踏切を越えて下の写真の坂を登ると駐車場です。

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ここまで辿り着いたあなたはもう大丈夫!

坂の途中にも岩からシームレスに石垣になっている箇所があり興味深い。
山の岩も上手に利用して築城されていますね。

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手前は岩だが奥は石垣になっている

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まだまだ真っ直ぐ

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駐車場到着!

早速、公園を探索!

本丸に向かうルートはふた通り

本丸に向かう道はふた通り。お城正面の大手道を通り大手門に至る道と城の西側をぐるっと回り裏門である搦手門に至る道。

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裏の道の手前で地図を配っていた山桜まつりのスタッフさんが城の西側をぐるっと回り裏門である搦手門に至るルートが桜を見るにはいいとオススメしてくださったのでその通りに散策することにしました。

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山桜まつり

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裏道入り口

山なのでやっぱり道は坂道が基本。これからの時期は特に水分補給と日差し対策は万全にして訪れたいですね。

腰巻石垣と鉢巻石垣

しばらく道なりに進むと見えてきたのは門のように向かい合って生える二本の木。

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木の近くには「腰巻石垣」の看板がありました。この「腰巻石垣」ですが、城の基礎部分を覆ったものをそう呼ぶそう。ということは、ここはまだ城の外なんですかね。

新発見があった鉢巻石垣

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上へと向かう階段

二本の木の間を通り抜けしばし歩くと上へと向かう階段がありました(上の写真参照)。
この階段を登った先に、今年(2021年)の3月に発見された石垣があります。

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ここの石垣は崩れかけている

さらに階段を登ると…

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おお〜!これが新たに発見された石垣!

こちらの新発見の石垣ですが、地元市民団体さんが公園を清掃中に落ち葉に埋もれていたのを発見したそう。
掃除って大事ですね…!鳥羽山公園を管理してくれている有志の市民団体さん、いつもありがとう。
「鉢巻石垣」と言って、土塁が崩れないように土塁の上部を固めた石垣です。

よくみると石垣が緩やかに傾斜しているのがわかりますか。
この緩やかな傾斜は戦国時代から江戸時代への過渡期のお城に見られる特徴なんだそうです。

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こちらの石垣は傾斜がわかりやすい

戦国時代以前やその当初は、単純に土塁補強のためだったので、高さの低い、垂直に積んだ石垣が主だったようですが、時代が進んでいくと、段々と高さが必要になってきたため、傾斜をつけて高く積み上げていくようになっていったそうです。
江戸時代には石垣を作る技術が完全に発達し、傾斜も急勾配&うず高くなっていくのだそうですよ。
石垣の様式からも、いつ頃に作られた城かを推測することができるんですね。

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浜松城

横長な石を使い、横に積み重ねていく積み方は浜松城の石垣にも通ずる気がしますね。
両者とも自然石をそのまま積み上げる野面積み(のづらづみ)なんだそうですよ。

ちなみに、「腰巻石垣」と「鉢巻石垣」ですが、土塁の下方を支える石垣を「腰巻き」、土塁の上方を支える石垣を「鉢巻」と呼ぶそうです。

この石垣付近ですが、マムシが近くに出没が目撃されておりますのでお気をつけください!
茶色で派手めな黒い柄の蛇を見たら近寄らず離れてくださいね。

西の丸Ⅱと花見広場

西の丸Ⅱと花見広場に出た時にわっと目に飛び込んできたのは巨大スライダー!!

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巨大スライダー

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スライダーの真横(北側)には、大きな岩がありました。
岩から木が生えている不思議な光景ですが、ここはかつて、西の丸Ⅱがあった場所なんだそうですよ。

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西の丸Ⅱ跡地

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お花見広場

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別アングルのお花見広場

あれ?桜は?もう散ってしまった?

桜のオンシーズンに合わせて訪れたのですが、思ったほど桜が咲いていない(笑)
後から調べたところ、鳥羽山公園は山桜が主。山桜は葉と同時に花が開くそうです。
さらに、山桜は短命(涙)。花は1週間ほどで散ってしまうそう。
株ごとに開花時期は異なるそうですが、う〜ん、これはもうほぼ散ってしまった後なのか…。
私がここに訪れたのが、4月2日。3月末だったらもう少し咲いていたのかなあ。

まあ、散ってしまったものは仕方ない。天竜川の見える西の丸Ⅰの展望台を目指します。
西の丸Ⅰは花見広場のすぐ近く、脇道の階段を登った先にありました。

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西の丸Ⅰ

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笹曲輪(ささくるわ)

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曲輪跡

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あれに見えるは天竜川!

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木々が生い茂っておる

ちょっと木々が生き生きしすぎて景観に食い込んでましたが、天竜川見えました!

わんぱく広場と搦手門(からめてもん)

西の丸Ⅰから東へいったところにあるのがわんぱく広場と搦手門。

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わんぱく広場はちょっとわんぱく過ぎて子供には危険かもしれません。
道が整備されていないので足元が悪いのと、マムシも出るそうなので草むらにはあまり近づかない方がいいかも。

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わんぱく広場に向かう道はシャガの花がたくさん咲いていた

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シャガは俳句で夏の季語らしい

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わんぱく広場の向かいには本丸広場

本丸広場への入り口には「搦手門」の文字。
搦手は城の裏門と言う意味。また、城の裏門や敵陣の後ろ側を攻める軍隊を「搦手」と言ったりします。
城の正面である「大手門」に対し、こちらの「搦手門」は有事の際などに城外や外郭へ逃げる時に使われていたそうです。

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搦手門

本丸広場

鳥羽山城の本丸の建っていた本丸広場
現在では芝生が気持ちいい市民の憩いの場です。

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本丸広場の南側に位置するのが展望台。

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景観の良い場所に必ずある立て看板「新・浜松の自然100選」

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展望台の中

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ようやく桜が…!

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やっぱり木々が元気過ぎるな…?

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線路が見える

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アクトタワーもかろうじて

展望台から景色も眺めたことだし、本丸広場を散策。

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ピクニックしてる方多数

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東門

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土塁の上に小さな遊具広場も

本丸広場から石垣を登ったところにあったのは、巨大スライダーの乗り口
本丸広場から西の丸Ⅱに滑り台で移動できるので、帰りに子供たちはローラー滑り台で楽々と下山♪

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上から見た図

本丸広場はひとしきり散策したので、今度は正面玄関である大手門から城を出ます。

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大手門

大手道

さて、大手門から駐車場に戻っていきましょう。

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桜!

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城壁っぽさが残る

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大手道

大手道は石畳が綺麗。とても雰囲気があります。
初夏や紅葉の季節に訪れても素敵な景色を見ることができそうです。

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駐車場に戻ってきました

搦手門の裏道ルートと大手門の表道ルート、どちらが本丸に近いかと言われると表道ルートの方が距離的には近いです。
ただ、階段が苦手な人は裏道ルート推奨、草むらや虫が苦手な人は表道ルート推奨ですかね。

二つで一つ。二俣城と鳥羽山城

鳥羽山城から少し北東に行くと「二俣城跡」があります。
この二つの城は1530年に桶狭間の戦いの時に今川氏によって築城されました。
当時は天竜川が二つの城の間に流れていたそうです。

1568年に今川氏が滅亡し、二つの城は徳川家康が治めることになります。

しかし、1572年の関ヶ原の戦いで二俣城は武田信玄によって攻略
そこで徳川方は二条城奪還のため、この鳥羽山城へ本陣を設営したそうです。

その後、家康が豊臣秀吉から関東移封を命じられるまで徳川方の領地だった二俣城と鳥羽山城。 家康が関東に移ってから、豊臣系の大名である堀尾氏が城主となり、石垣が築かれ今の姿に整備されたそうです。

天竜川を挟んだ二俣城と鳥羽山城ですが、二俣城は軍事的機能を備えた城、鳥羽山城は迎賓機能を備えた領主の生活の場になりました。
この両城ですが、二つで一つの機能を備えた城なので「別城一郭」というそうです。

鳥羽山城の大手道の石畳の格好良さ、本丸の枯山水などは、お客さんを迎えるための鳥羽山城ならではの施設だったんですね。

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本丸にある、枯山水庭園跡

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立石を組むことで滝を表現

何かと徳川軍とゆかりのある鳥羽山城ですが、関ヶ原の戦い以降は戦略拠点としての重要性が薄れて廃城になったそうです。

結果報告

鳥羽山公園、思ったより桜少なかった…!来年はもう少し早めに訪れよう。
桜を見ようという狙いは外れましたが、歴史的に面白い遺跡があり興味深く散策できました。

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歴代城主たちはどんな景色を眺めていたんだろう

所々にお城を感じさせる石垣の作りが残っていて、想像力が刺激されました。
本丸の広場では、みなさんピクニックを楽しんでおられ、始終和やかな雰囲気。
道中、巨大スライダーから子どもたちの歓声が聞こえてくるのも素敵でしたね。

おまけ
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「天竜のへりに椅子おく夕涼み」

愛知県出身の俳人 富安風生(とみやす ふうせい)の句が鳥羽山公園にあります。
天竜川のせせらぎを聞いて夕涼み。夏の至福の時を感じさせられる良い句ですねえ。

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からすへび(シマヘビ?)が道路を横断中だった

この記事を書いた人

さんかく
さんかく
猫と一緒に暮らし始め、猫アレルギー疑惑が払拭されました。猫の毛ってすごい空中に舞いますね。ふわふわ。

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