昔は伊勢神宮の御厨だった? 歴史深い蒲神明宮

昔は伊勢神宮の御厨だった? 歴史深い蒲神明宮

浜松市東区

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天神町交差点から子安交差点までの東海道沿いに現れる大きな鳥居をご存知ですか。
この鳥居は浜松市中区神立町にある蒲神明宮のもの。
蒲神明宮は古くから歴史のある神社で地元の人々からは「ごしんさま」と呼ばれ親しまれています。

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一の鳥居

一の鳥居は蒲神明宮からは600mほど南東に離れた場所にあり、鳥居から蒲神明宮へ続く道はごしん表参道と呼ばれています。

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国史現存 蒲神大神

蒲神明宮ですが、その昔は伊勢神宮の御厨だったこともあり、歴史上の有名人物ともゆかりがあるんですよ。
今回は、そんな伊勢神宮と縁深い蒲神明宮にお参りしてきました。

清々しい風吹く境内 蒲神明宮

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蒲神明宮

その昔は「袖紫ヶ森」という御神森が蒲神明宮を囲うようにして広がっていたのだそうです。今でもその一部だった木々が境内をお守りしています。

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駐車場

鳥居に向かって左側に参拝者用の駐車場があります。

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二の鳥居

境内はとっても清々しい雰囲気。

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二の鳥居の脇にも3台ほどの駐車場があります。
その先に献灯と橋がありこの先は徒歩のみ。ここから先はわんちゃんなどのペットは参拝不可だそうです。

まずは拝殿にお参り

境内にはメインとなる拝殿以外にも社が所々あるのですが、
まずは拝殿に参拝しましょうということで、手水舎に寄ります。

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手水舎

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榊(さかき)の木に御神水が

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水質検査成績表?

なんでも、本来はこの御神水は飲み水ではないそうですが、参拝客の皆さんがお水を汲んでいくため念のため水質検査をしているんだそうですよ。

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水質検査成績表

奇遇にも、同行スタッフの一人が湧き水に詳しい者だったので値を確認してもらたところ、「基準値は満たしているので飲めます。今年もしっかり検査していてちゃんと管理されてますね。」とのこと。今度、ペットボトル持ってこようかな。

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大木

手水舎の横にあるのは御神木の楠。

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拝殿

内宮に祀られているのは天照坐皇大御神(アマテラシマススメオオミカミ、以後:天照大神)。
日本神話における最高神で太陽の神様です。

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扉の奥にはみずみずしい神鏡

神社にあるこの鏡は「神鏡」といいます。
神社で鏡をこのように置くのは、日の光を反射して輝く鏡で太陽(天照大神)を示す役割や神様が宿る依代の役割があります。また、反射する自分自身の姿と向き合うことで自分の心と向き合うと言う意味合いもあるようですよ。

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蒲神明宮は、その昔は伊勢神宮の御厨だったと書きましたが、それは平安時代の907年(延喜7年)ごろのこと。
それ以前は、「蒲大神(かばのおおかみ)」として信仰を集めていました。
蒲大神の創立年月日は詳しくはわかっていません。
一説には旧浜松市内で最も古い神社だとか、御厨になる100年前、平安時代の806年(大同元年)に創立された説などがあります。

古い書物に度々名前が記載されているので、907年以前に存在していたことは間違いないのですが、その詳細は不明なんだそうです。

現在の蒲神明宮のパンフレットには、御祭神の一つとして蒲大神の名があったので信仰は途絶えていないようですよ。
その昔の蒲大神は一体どんな神様だったんだろう。

さて、拝殿向かって右脇にある下宮は豊受比賣神(トヨウケビメノカミ)をお祀りしています。

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豊受比賣神は食べ物や穀物の神様だそうで、天照大神の食べ物の調達役なんだそうです。
昔、伊勢神宮の御厨(御厨とは神様にお供えする供物を献上する施設)だった蒲神明宮らしい神様ですね。

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鳥居は伊勢神宮の別宮 月讀宮の鳥居を譲り受けたものなのだそう。
ちなみに、月讀宮の御祭神、月讀尊(ツキヨミノミコト)は天照大神の弟です。

境内にはその他にも、高宮(たかのみや)に気吹戸主神(いぶきどぬし)、伊雑宮に伊佐波登美命(いさわとみのみこと)、土宮に大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)が祀られています。

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高宮

ちなみに、気吹戸主神はけがれなどを清める祓え(はらえ)の神様。
伊佐波登美命は海の神様。
大土乃御祖神は、伊勢神宮や外宮の土地を守る神様です。

地元の人々からは「ごしんさま」と呼ばれ親しまれている蒲神明宮。
どうして「ごしんさま」なのかという由来は調べましたがこれといった資料は見つかりませんでした。

私の勝手な推測ですが神明宮には、

  • ・内宮…天照大神
  • ・外宮…豊受比賣神
  • ・伊雑宮…伊佐波登美命
  • ・高宮…気吹戸主神
  • ・土宮…大土乃御祖神

という5つの宮があるので「五神様=ごしんさま」と呼ばれるようになったのかなあ、なんて考えたり。
本当のところはどうなんでしょうか。有識者の方がいらっしゃたら是非教えていただきたいです。

境内にある末社

お次は末社(※ 主神以外の神を祀る境内の小さな神社のこと。)のご紹介。

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津島神社

境内の一角にある津島神社に祀られているのは須佐之男命(スサノオノミコト)。
須佐之男命も天照大神の弟で、暴風の神様です。
乱暴者のため天照大神を怒らせ天上界を追放になったりしましたが、悪さをするヤマタノオロチを退治したりなど知恵と勇敢さを持ち合わせた神様でもあります。

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厳島神社

境内でオアシス的な存在感を放っているのは厳島神社
社の側にあった碑によると、蒲神明宮に厳島神社を招いたのは江戸時代の文化3年
厳島神社には、水(海)の神様である市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)が祀られています。
この市杵島姫命は、ウケイという占いのような儀式の時に天照大神が須佐之男命の剣を噛んだ時に産まれた3人の女神様のうちの一人です。市杵島姫命はその中でもとびきり美人の女神様なのだそうですよ。
また、市杵島姫命は、仏教世界の弁財天と同一視され、金運アップや商売繁盛のご利益のある神様として信仰を集めています。

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水の神様だから周りが池になってる

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亀さん発見

また、蒲神明宮の境内には稲荷神社がふたつもあります。

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祓戸稲荷神社

祓戸稲荷神社に祀られているのは大宮姫命(オオミヤヒメノミコト)。
天照大神の侍女で、天照大神と他の神や人の間に立ち調和を図る役割なんだそうですよ。社長付きの秘書みたいなものなのかな?
身のこなしが優美で愛嬌がある女神様で、接客サービス業の方々からの信仰が厚いのだとか。

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五社稲荷神社

五社稲荷神社に祀られているのは宇迦御魂命(ウカノミタマミコト)。
こちらも女神様で、稲の精霊を神格化した神で食物の神様です。
五穀豊穣・商売繁盛の御利益があります。
京都の伏見稲荷大社が宇迦御魂命をお祀りする神社の総本宮なんだそうですよ。

境内入り口付近には秋葉神社も。

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秋葉神社

秋葉神社に祀られているのは火之迦具土命(ホノカグツチノミコト)。
名前の通り、火の神様で火伏せのご利益があります。
火の神様であるため火之迦具土命が生まれ出たときに母神の産道が火傷してしまい、その傷が元で母神は亡くなってしまいます。それに怒った父神は火之迦具土命の首を切り落としてしまいます。亡くなった火之迦具土命の身体からは16もの神様が生まれたそうですよ。

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社務所

社務所では御祈祷を始め、お守りやおみくじを授かることができますよ。

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こんにちわ〜

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おみくじひいた

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おみくじは、項目が細かくて良き

ゆかりのある歴史の人物

平安時代から伊勢神宮の御厨として寄進された蒲神明宮。
その始まりは不思議なお告げから始まったのだそうです。

静波伝説

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時は平安時代、越後守であった藤原静並と言う人物が伊勢神宮にお祈りしている時のことです(この静並公は大化改新を主導したあの藤原鎌足の子孫だそうです)。

御本殿の方から白い蛇が出てきて、静並の衣の左袖にのぼってからまた御本殿の方に帰っていった。不思議に思い、左の袖を見てみると蛇の這った跡に「蒲開発本願主」と書いてあった。神様から「蒲の土地を開発するのは静並だ」と指名を受けたのだ。

しかし、静並は“蒲”という土地を知らなかった。
困っていたところ、遠江の国からやってきた参拝客から「私の国に蒲という土地があります。蒲草が生い茂り肥沃ないい土地ですよ」と聞き、静並は喜んで家来共々この蒲にやってきて土地を開墾した。
その土地を“蒲御厨”として伊勢神宮に寄進し、蒲の御厨に神明宮(天照大神の神社)を迎え入れた。

御神託で領地開拓とは!
馬に乗って颯爽と現れた静並公とその家来を見た現地民は「何事?!戦が始まったのか?」と腰抜かしただろうなあと蒲の穂を刈っていた農民の気持ちを想像してしまう私は根っからの平民根性です。

それまで住んでいた越後から蒲に移り住んだ静並公は、広大な土地に用水路などを作り土地を開拓。
水が行き届き、便利になったので近在の人がどんどんその周辺に移り住むようになって、いくつもの村ができていったそうです。こうやって土地って栄えていくんですね。
「ここもずいぶんひらけたもんじゃのう。蒲様のおかげじゃ!」とまた農民の気持ちになってしまいました。(※ 開発領主である静並公の子孫は神官と御厨の主人を兼任し、蒲氏と名乗ったそうです。)

昔は、伊勢神宮にお参りできるのは特定の皇族のみで民間人はお参りできませんでした。現代のように誰でもお参りできるようになったのは明治以降のことなのだそうですよ。ということはこの蒲御厨も限られた人物しか出入りできなかったのですね。

蒲桜伝説

蒲神明宮にゆかりのある歴史の人物がもうひとり。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将、源範頼
鎌倉幕府の初代征夷大将軍の源頼朝とは異母兄弟の関係です。

範頼は、父である源義朝が池田宿(現在の磐田市にあった宿場町)滞在の時にできた子だそうで、母は遊女であったとか池田宿の長者の娘だったとか諸説あります。
いずれにしても正室の子ではないので、蒲御厨でかくまわれるように生まれ育ちました。(※ 範頼は正室 由良御前の子であり、平治の乱で義朝が敗れたので難を逃れるために密かに蒲御厨でかくまわれたという説もあります。)
蒲の地で育ったので、範頼は「蒲冠者」とか「蒲殿」と呼ばれたそうです。

やがて、異母兄の頼朝が挙兵するようになると、範頼は頼朝の家来として戦に赴くようになります。
桜が好きだった範頼は頼朝のいる関東へ向かう際に、桜の苗木を持参して武蔵国にある自分の居城に植えたと言われています。
この桜は埼玉県の北本市に今も現存していて、「石戸の蒲桜」と呼ばれているんだそうですよ。

源平合戦では総大将として異母弟の義経と共に京都に上ります。
三重県鈴鹿市の石薬師宿で戦勝祈願をした際に「もし私が戦に勝ったら、この地で必ず生きよ」と言って、石戸の蒲桜の幹でこしらえた鞭を大地に突き立てます。

戦は源氏の大勝利。
蒲桜は範頼との約束どおりに生長して、今では樹齢約800年の石薬師の蒲桜として人々に親しまれています。

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境内には石薬師から里帰りした蒲桜が

カリスマ性があり反抗的な義経とは違い、頼朝にかなり従順だったマメで実直な範頼
基本的には頼朝に忠誠を尽くしていましたが、義経追討を命じられた際には「弟を討つことはできない」とキッパリと断り続けるなど情に厚い人物だったようです。
そんな人物だったので、頼朝が「暗殺された」というデマが流れた時に気を揉んだ頼朝の妻・北条政子に「私がいるから心配ないですよ。」と優しく声をかけたのですが、これが誤解を受けてしまいます。

政子「ん?こいつ、頼朝がいなくなったら自分が将軍になろうとしてるんじゃ…

鎌倉に帰った頼朝は、政子にその時のことを聞き大激怒。
範頼は伊豆の修善寺へ流刑になり、幽閉先で頼朝の刺客に囲まれ、覚悟を決めた範頼は自害。その生涯を閉じました。

範頼の優しさとか何よりも、頼朝夫妻が怖すぎる。
頼朝疑り深か〜!政子怖え〜!って感じですね。戦乱の世を生き抜くと嫌でも猜疑心が強くなってしまうのかな。

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蒲地区の花と樹は蒲桜

結果報告
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鳥居からザァーっと風が吹いてきて、なんだかとても居心地が良い神社でした。
拝殿も内宮外宮があり、末社も立派で、見所もいっぱいあって満足です。
桜にまつわる伝説のあるところなので、春にまた来たいですね。

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冷たくて気持ちが良かった

あとは、湧き水スポット番外編として御神水を汲みに行くかもしれません。

おまけ
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お守りにも桜が

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さんかく
さんかく
猫と一緒に暮らし始め、猫アレルギー疑惑が払拭されました。猫の毛ってすごい空中に舞いますね。ふわふわ。

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