藤棚の絨毯が織りなす幻想的風景!磐田市の熊野の長藤
公開日:2019/04/22
お花を眺めて、その美しさにただただ感動する部活、フラワーウォッチング部。
今回は、4月下旬から5月初旬に見頃を迎える藤の花を見に行ってきました!
行興寺と豊田熊野記念公園
磐田市にある藤の名所、行興寺に行ってきました。
行興寺の藤は「熊野の長藤」と呼ばれています。
「熊野の長藤まつり」開催中のため、賑やかな境内。
大きな藤の樹!
敷地内には6本の藤が植えられており、そのうち一本の藤の樹齢は800年(!)を超えるのだそう。
拝殿
授与所もある
行興寺に隣接している豊田熊野記念公園にも藤がたくさん! 両方の敷地に植わっている藤の数は40数本にもなるのだそうです。
ピンク色の藤もありました。初めてみました!かわいい!
豊田熊野記念公園
公園内には能の舞台があり、「熊野の長藤まつり」の最終日には、ここで舞が披露されるようです。
私が訪れたのは平日でしたが、たくさんの方が藤の花を楽しんでいらしゃいました。公園内でピクニックを楽しむ親子もいて、和やかな雰囲気。
熊野御前と藤の花
先ほど、行興寺の藤は「熊野の長藤」と呼ばれるといいましたがその由来になっているのが、
「熊野御前(ゆやごぜん)」という女性です。
熊野御前とその母、従女の朝顔の眠る墓
行興寺のある磐田市池田のあたりは昔、宿駅(旅客の宿泊所など)だったといいます。
平安時代、磐田市池田にある宿長者の娘だった熊野は、それは美しい女性でした。
当時、国司(国の行政官)として、この地方を治めていた平宗盛に見初められ、熊野は妾(めかけ)になり京に登ります。
ある日、池田に残した母から病気の知らせを受けます。
故郷に帰り看病したいと宗盛にお願いするも、宗盛はなかなか帰郷の許しを出しません。
さらに、花見の共にと熊野を連れ立って清水寺へ花見に出かけます。
宗盛のやつ、なかなか最悪な野郎だと思ってしまいましたが、
「絶えず変化していく諸行無常のこの世の中、今年の花見が都で見る最後の春になるかもしれないと思ってのこと」だったとかなんとか…
悲しみに暮れる中、熊野御前は、花見の席で「いかにせん 都の春もおしけれど 慣れし東(あずま)の花や散るらん(都の春も名残惜しいものですが、慣れ親しんだ故郷の花も散ってしまうかもしれない)」と歌を詠みます。
この歌に心動かされた宗盛は、熊野の帰郷を許します。
のちに、宗盛は源氏によって晒し首にされ、無念の死を遂げます。
宗盛の死を知った熊野は尼になり、33歳の若さで生涯を終えました。
そんな熊野が母を想い、冥福を祈るため建立したのが行興寺なのだそうです。
行興寺の藤の花の800年越えの樹齢のものは、藤を愛した熊野が植えたものと伝えられているそうです。
熊野御前と母の墓の後ろに植わっている藤がその木なのだそうです。
この木は国が定める天然記念物に認定されています。
とつらつらと文字をここまで書いたのですが、せっかくなのでわかりやすく漫画にしてみました!
※ 能の「熊野」や伝承などを参考に作ったハマラボによる完全フィクションです。事実とは異なる点がありますがご了承ください。
由来を調べるとなおのこと感慨深いものですね!
あと、漫画って書くのめちゃくちゃ大変ですね… なめてました。
この大変さを忘れた頃に、もう一度チャレンジしようか、しまいか…
藤の花はゴールデンウィーク直前5月初旬が満開です。
ぜひ、行ってみてくださいね!
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- お花を眺めて、その美しさにただただ感動する部活。
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