万葉の森公園、万葉亭で1300年前の食を学ぶ

万葉の森公園、万葉亭で1300年前の食を学ぶ

浜松市浜北区

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万葉の森公園は、浜北区平口にある浜松市営の大規模公園。

 万葉の森公園_万葉の森公園、万葉亭で1300年前の食を学ぶ|ハマラボ[ハママツ研究所]

万葉文学や万葉文化の体験施設として整備され、万葉集で歌われている植物約300種類が植栽されています。
園内には草木染めなどができる伎倍の工房のほか、1300年前の万葉貴族の食事が楽しめる休憩施設、万葉亭があり、様々な体験を通して万葉文化を学ぶことが出来ます。
今回は万葉の森公園、万葉亭にて1300年前、奈良時代の食事を調査してきました!

万葉食とは

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万葉亭は、万葉の森公園の入り口、平城京の築地塀を模して造られた門を通るとすぐに見えてきます。

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和風の建物の周りには「こも」今で言うマコモや、「つきくさ」ツユクサ、「はねず」ニワウメなど食べられる万葉植物が育てられていました。

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のれんをくぐり中に入ると、今回1300年前の食事、「万葉食」を作ってくださる「月草の会」の方が温かく出迎えてくださいました。
月草の会は浜北を拠点に活動する万葉食の研究会で、現在14人で活動しています。
1994年の設立以来20年以上、万葉集などの書物や発掘遺跡、木簡から万葉食の研究を続けているとのこと。出来る限り当時の食文化を再現したうえで、おいしく食べられる万葉食の提供をしています。
万葉食は4人以上からの事前予約制。1,200円と1,500円の「貴族の食事」、600円の「庶民の食事」からメニューを選ぶことができます。今回はせっかくなので、すべてのメニューを注文させていただきました。

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まずこちらは庶民の食事。丁寧なお品書きをいただきました。

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質素です。きびのごはんに、たんぱく源は雑魚(いわしの煮干)のみ。 「くき」と呼ばれる浜納豆と漬物、あつものに日本最古のお茶、碁石茶が付いたお膳です。羹に使われている薬味は「みら」と呼ばれていたニラ。ネギ科ネギ属の野菜で最も古く、当時から薬として親しまれていました。

次に1200円の貴族の食事。万葉食は季節によって内容が変わるため、今回は夏のメニュー「家持膳」を頂きました。

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家持膳という名前の由来は大伴家持の和歌に登場する、鰻を使用しているから。お品書きにもしっかりと和歌が書いてあります。

いしに われ物申す夏痩せに よしという物そ むなぎせ(巻16-3853)

「石麻呂殿に申し上げます。夏痩せには鰻がいいそうですからお召し上がりください」
これは戯笑歌というもので、いくら食べても飲んでも体がひどく痩せていた石麻呂という人を、家持がからかって詠んだ歌なんだそう。
それにしても、1300年前にはすでに鰻に対して「夏痩せにいい」という滋養強壮のイメージがあったのですね。

この和歌の次、16巻3854首にはその続きとなるような歌があるとも教えていただきました。

痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた むなぎを漁ると 河に流れな(巻16-3854)

「痩せに痩せているとはいえ、生きていけるなら儲けもの。元気になろうと鰻を捕ろうとして、川に流されることのなきよう」
同じく大伴家持の戯笑歌。リズミカルに、先ほどの揚げ足をとるようなことを詠んでいます。

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貴族の食事はこんな感じ。庶民の食事に比べ、品数、彩ともにかなり増えています。和歌に詠まれていた鰻は中央、クマザサの葉の上にありました。
よく見る蒲焼とは違った、丸い筒のような形。実はこれが「蒲焼」という名前の由来となった焼き方なんだそうですよ。その昔は、鰻の調理といえばぶつ切りを竹などの串に巻き付けて焼くのが一般的でした。この形が「蒲の穂」に似ていることから「蒲焼」と呼ばれるようになったんだとか。諸説あるようですが、納得の理由です。
古代米のひとつ、赤米は月草の会の方々がご自分で精米されているそう。ふかふかでおいしいごはん。きびももちもちしていておいしかったのですが、やはり庶民と貴族、食べているものが違います。

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天然の天草を使ったという心太の上に乗っているのは当時「はねず」と呼ばれていたニワウメ。小さいながらもしっかりと梅の味がしました。
そのほかには茄子と椎茸の煮物に万葉植物の揚げ物、藻類の酢の物、木菓子はマクワウリと「ひし形」という言葉の由来となった四角い葉を持つ「ひし」の実があります。
そして「いはゐづら」と呼ばれていたスベリヒユのお浸し。生姜醤油でおいしくいただきましたが、これは現代でもよく見る雑草だそう。ネットで検索してみると確かに道端で目にしたことのある植物…!雑草がこんなにおいしいなんて驚きでした。

最後は1500円の貴族食。

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さらに品数が増え、豪華になりました。1300年も昔にこんな立派なご膳が食べられていたなんて。もちろん口にできたのはごくごく一部の上流貴族でしょうが、現代の食事となんら遜色のないような印象さえ受けます。
万葉植物の揚げ物。

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一年中採ることができ、葵の中で唯一食べられる「あふひ」フユアオイや、着物の染料にも使われ、水で色が落ち易いことから「心変わり」や、「儚い命」を表す言葉として万葉和歌に詠みこまれた「月草」ツユクサなど、万葉集では馴染み深い植物の揚げ物です。
左下の黄色い茎のようなものは「こも」と呼ばれるマコモダケという植物。エリンギのようなサクサクとした食感と後に残る花のような甘い風味が特徴的でした。こもに関連する和歌は本当に多く残されており、かのかきのもとのひと

の海の 庭好くあらし かりこもの 乱れづ見ゆ の釣船(巻3-256)

「飼飯の海上も穏やかで、刈り取ったこものようにあちこちから海人たちの釣り船が見える。」と、刈ったこもを「乱れ」を導く枕詞として使った和歌を詠んでいます。

茄子の上に乗っているのは「ひしお」という当時の発酵調味料。

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このひしお、醤油の前身といわれるものなのですが、特有の発酵臭の消し方がなかなかわからなかったそう。しかし万葉集の中にレシピのヒントを見つけたのだとか。

ひしおに ひるき合へて 鯛願ふ 我にな見えそ あつもの(巻16-3829)

ながの忌寸いみきの和歌なのですが、意味は「醤と酢にびるを合わせたものに鯛をつけて食べたい。私に見せるな、菜っ葉の汁物など」という万葉人の食の好みが表れた珍しい歌。これを参考に、醤に刻んだ野蒜をいれてみたところ、発酵臭がみごとに消えたのだそうですよ。食材だけでなくその調理法まで当時を再現しようと、万葉集からヒントを得ていることにこだわりを感じました。

「にぎめ」と呼ばれていたアオノリの酢の物の上には、月草の会の方々が引佐の霧山川の水源地まで赴き、自ら採取されたという「ぬなば」ジュンサイが乗っています。
そして忘れてはいけないのが古代のチーズ、「」。

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小麦粉を練って揚げた唐菓子や、樹齢100年の木から採取したという「かへ」カヤの実と一緒に、ツワブキの葉に乗せて提供されました。
蘇は牛乳を10分の1以下になるまで時間をかけて煮詰めたもの。万葉時代には、これをさらに発酵させた茶色の蘇が食べられていたそうです。
味は濃厚なミルク菓子のよう。甘味料を使っていないにも関わらず、牛乳本来の甘味をすごく強く感じました。個人的にはとっても好きな味。自宅でも作ろうとレシピを伺ったところ1リットルの牛乳を弱火で3時間ほど煮詰めるのだとお聞きして諦めました…。

蘇の歴史も深く、平安時代の政治運営に関する事例を掲げた書「政事要略」には「文武天皇4年(700年)10月、使を遣し蘇を造らしむ」との記述があるほか、815年に嵯峨天皇の命で編纂された古代氏族名鑑「新撰姓氏録」には、大化の改新頃の孝徳天皇の時に、善那使主が牛乳を献上したとの記述があり、どうやら大化の改新以降には作られていたのではないかと考えられているそう。
しかし牛乳を作るのは庶民でも、それを口にできるのはやはり貴族だけ。とても高価な食べ物であったことに間違いはなさそうです。

おなかいっぱい万葉食を頂いた後は、糟湯酒で一服。

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これは下級役人が貴族の飲む酒の搾り糟をお湯に溶かして飲んでいたとされているもの。同じレシピで作ってみたところとても飲めるものではなかったとのことで、万葉亭では甘酒にして提供しているそうですが、当時の下級役人にとっては楽しみの一つだったんだとか。

和歌から、そして食事から、万葉時代の食文化を学んだところで今回の調査は終了です。

結果報告

できるだけ本物を再現しようという月草の会の方のこだわりや、万葉食の詳細をご説明いただき、楽しく学びながら、食事をすることが出来ました。
浜松に全国的にも珍しい万葉食を食べることのできる場所があるということを知らなかった方も多いのではないでしょうか。
万葉文化に興味をもつきっかけとして、ぜひ訪れてみてください。

この記事を書いた人

ハママツ研究所
ハママツ研究所
浜松を愛し、浜松に愛されることを目指して日々研究に没頭中

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