弥生時代〜平安時代の遺跡でお散歩 伊場遺跡公園

浜松市中区

弥生時代〜平安時代の遺跡でお散歩 伊場遺跡公園|ハマラボ[ハママツ研究所]

伊場遺跡の中をお散歩! 往復1kmのお手頃コース

「運動不足!体力に自信はないけど、ちょっとだけでも身体を動かしたいなあ…」
という方にちょうどいい公園をご紹介。
伊場遺跡公園はその名前の通り、遺跡の一部を公園として公開しています。
往復1kmのお手頃コースで、ウォーキングビギナーにはもってこい
登呂遺跡ほどは立派じゃないけれど、遺構を眺め当時の姿を想像しながらのウォーキングを楽しむことができますよ。

所要時間 15〜20分
距離 1.0〜1.3km
消費カロリー 47〜63kcal

*消費カロリーは時速4km(3メッツ)、体重60kg、最低所要時間で算出しています。
*体重や歩くスピードなどにより誤差があります。

コース概要
駐車場 → 弥生時代の環濠集落跡 → 葦原 → 伊場大溝 → 掘立柱建物群の跡 → 復元された掘立柱の建物 → 駐車場
(※ 全て伊場遺跡公園内)

コース紹介

1)駐車場

伊場遺跡公園は駐車場がある公園。車でも安心して訪れることができますよ。
公園はメインストリートから外れたちょっと分かりづらい場所にあるので要注意。

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この看板が目印

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駐車場入り口

南側がJR東海道本線に面していて、近くで電車を眺められるので小さいお子さんは喜ぶはず。

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近くに停まる電車

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遺跡を説明する看板

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ふむふむ

伊場遺跡のあらましによると、伊場遺跡は古い時代の砂州に営まれた遺跡なのだそうです。
砂州(さす)は、水の流れや風によって運ばれた土砂が堆積しできた土地のこと。

何時代の遺跡と断言されていないのは、弥生時代に一度集落が栄え、衰退した後、古墳時代にも再び集落が営まれ、また、その後の飛鳥時代から奈良時代にかけての品物も多く出土しているから。

弥生時代から平安時代にかけて、その時その時の集落が衰退したり、新たに生まれたりしながら、ここで生活を営んでいたようです。

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長細い公園

遺構がないか周囲に気を配りながら、散策開始!
数メートル歩いたところで早速、石碑発見!

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石碑発見

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文字の右側、何かが削り取られてて怖かった

伊場遺跡の発見者は、なんと中学生
1949(昭和24)年に、浜松市東伊場町の田んぼで中学生が弥生式土器の破片を採集。それを学校の先生に見せたことがきっかけとなりました。

すごいぞ!中学生!
この中学生が私だったら「なんだこれ、裸足で踏んだら怪我するでしょうが!危ないなあ…」と、破片をまた田んぼの土のもっと奥深いところに埋めなおしていたところです。

2)弥生時代の環濠集落跡

石碑の数メートル先にも何かを発見!
畑かなあ?

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弥生時代の環濠

カンゴウ…?

環濠とは、村を外敵から守るために掘られたお堀(濠)のこと。
伊場遺跡の環濠は、約1900年前の弥生時代後期の環濠とみられています。

ちなみに、環濠のゴウの字ですが、
水を張った水堀の場合は「」、水の張っていない空堀だった場合は「」と表記して区別するそうです。

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砂利のところは当時は水が張ってあった

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集落を囲む三重の濠は12mから13mに及び、間には土塁(敵の侵入を防ぐための土の壁)も設置されていたそうです。 濠の中の集落は120m×90mの広さがあり、ヒョウタンのような形をしていたそう。

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ここの再現はヒョウタンの先っぽ部分

120m×90m… 10800㎡…
大きさがよくわからないな…ちょっと大きめな校庭ぐらいか?
気になって調べたところ、都道府県別の公立小学校の校庭の広さで一番大きいのは、秋田県の約10922㎡だそうなので、あながちこの想像は間違ってないのかもしれません。
※ 参考サイトを調べ、同じ方法で統計を出そうとしたがデータが出て来ず、校庭面積の真偽は不明です。(参考サイト:SENSEI ノート https://senseinote.com/articles/72

校庭の

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濠からは弥生土器や装飾された木の鎧、銅鐸、模様や水鳥が描かれた祭祀のための土器などが出土しました。

守りを固めた環濠集落だったことと、特殊な遺物が出土したことから西遠江の中心的な村だったと考えられているそうです。

3)葦原(あしはら)

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あれ?葦はどこに生えているんだ?

今は全く葦原の面影はないですが、この辺は昔は湿地帯だったようです。
と言うことは昔はこの辺に葦原があったのかなあ…

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佐鳴湖湖岸の葦

葦は水際に生息する植物で、すだれや茅葺屋根の葺き替え、肥料などいろんなことに使えるので人々の生活には欠かせないものだったそうです。

葦は平安時代までは「あし」と読んでいましたが、悪しとも取れると言うことで「よし」と呼ぶようになったそうです。
このジンクスを採用すると、葦原=ヨシワラ。この呼び方に漢字を当てがった結果、吉原と表記するようになり、それが地名となったケースも多いようです。

4)伊場大溝(いばおおみぞ)

古墳~平安時代に流れていた古代の小川の跡

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大溝からは、土器や木製品、貝殻などの食べかす、まじないの道具、古代遠江の国の敷智郡(ふちぐん)のお役所があったことがわかる木簡(木の札)が大量に発見されました。

伊場大溝は幅20m、深さ2.5mほどの規模があり、東西1.5kmほどが確認されているそうです。

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大きな川がなくなってしまったの不思議だなあ

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今は湿地

5)掘立柱建物群の跡

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奈良時代に、大溝の周辺に建物が立ち並ぶようになったそうです。
地面に穴を掘って柱を立てた「掘立柱建物」という建物で、発掘時には柱を立てた穴や柱の根元が見つかったそうです。

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川チカ、徒歩5分の立地

柱穴や柱根を埋め戻し、その上に擬木の柱を立てて建物を再現。

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コンクリの柱

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これは間取りっぽい

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「どこの物件がいいかしら…」土地の見学会開始

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掘立て小屋って案外広いのね

「川から程良く離れてたほうが洪水の恐れもなく安心なんじゃあ…」
「なんか家々が近いなあ…お向かいの家に我が家の喧騒が届いてしまう…もう少し距離保ちたいわ」

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あ!あそこの土地イイね!

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ハマラボ認定の優良立地の物件

6)復元された掘立柱の建物

建てれもしない家のために土地見学会をする虚しさにようやく気がついたので、次のエリアに移動。

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「夏草や 掘立て小屋の 夢の跡」

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伊場遺跡公園一番の盛り上がりエリア

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高床式倉庫

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小学校で習ったネズミの侵入を防ぐネズミ返しのついた柱

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シンプルな階段

この階段は「きざはし」というそうで、取り外し可能。使わない時は外されていたそうです。階段というよりは、ハシゴのような感覚でしょうか。

この辺は、奈良時代には古代遠江の国の敷智郡(ふちぐん)のお役所があったところなので、この倉庫には人々から取り立てた米や布が入っていたのかもしれない、と看板に解説がありました。

ちなみに、伊場遺跡公園付近、西側にある「城山遺跡」に郡衙(ぐんが)という郡の官人が政務を執ったお役所があったとされています。

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若林、伊場間を抜ける高架下にひっそりとある「城山遺跡」。

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城山遺跡

かつてはお役所があった場所ですが、今はこの石碑だけ。

伊場遺跡公園にその郡衙(ぐんが)の建物が再現されていました。

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窓も桟も全部木で出来てるのが現代人の目には逆に新鮮!

どうやって窓を開けるのかは不明。木の板を内側から外すのかな?
晴れた日は良いけど、雨の日は雨粒が中に振り込んで中が水浸しになりそうだな、など妄想が膨らみます。

伊場遺跡公園の付近には「梶子遺跡」「梶子北遺跡」「城山遺跡」「鳥居松遺跡」「中村遺跡」「九反田遺跡」「三永遺跡」の7箇所の遺跡が確認されており、これらの遺跡を一括りにして「伊場遺跡群」と呼んでいます。

こんなにたくさんの遺跡があるなんて知らなかった!

伊場遺跡群から発見された、飛鳥時代〜奈良時代の建物群は、郡役所や駅家(うまや)だったと推定されているそうです。

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現代人には少し小さい造り

古代の日本では全国を、都(難波宮、平城宮、平安宮)周辺の「畿内五国」と、それ以外の地域をそれぞれ「七道」と区分していたそうで、その区画を「五畿七道(ごきしちどう)」といいます。

この「五畿七道(ごきしちどう)」を移動するお役人(公的な使者)のために設置された施設が「駅家(うまや)」。

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駅馬(使者がのる馬)を飼育するための厩舎や水飲場、使者が宿泊・休憩を取るための施設や食事のための調理場、貯蔵庫も併設されていたそうです。

なんだか高速道路のサービスエリアみたい。

建物群を抜けて道なりに進むと公園の反対側に到着。 ここまでで片道500m

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公園の反対側に到着

縄文〜弥生時代の遺跡好きとしては、なかなか面白かったです。 いろいろ散策してまわったのでおそらく500m以上の距離を稼げているはず。
疲労を感じるほどに長くはないから、運動量としてもちょうど良い距離感ですね。

一点、注意事項としては、土地の水捌けがよくないので、芝生は特に、雨の日及びに雨のやんだすぐ後は足場がグジュグジュしてます。
散策には、カラッと晴れた日がオススメです。
ウォーキングコースは舗装されたコンクリなのでいつでも快適に歩くことができますよ。

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さあ、折り返すぞ

おまけ
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カニがいた

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さんかく
さんかく
猫好きなのに猫アレルギーかもしれない。

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