江戸から数えて31番目 東海道五十三次 新居宿

公開日:2021/02/08



新居関所のすぐ近くの宿場町 新居宿の通りをぶらり。
今もかつての面影を残す「新居宿 旅籠 紀伊国屋資料館」「小松楼」「本陣跡」に行ってきました。
鰻蒲焼きが名物 旅籠 紀伊国屋
新居関所から東海道沿いに歩くと見えてくる黒い建物が紀伊国屋資料館。
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当時は紀州藩の御用宿として栄えていたそうです。
創業時期は不明のようですが、新居関所が場所を移す前には既に創業していたそうなので老舗ですね。
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入館には、拝観料が必要
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建物は、明治7年に火事で消失して建て直して以来、昭和24年まで旅館として活用されてきました。
建物の一部に江戸時代の旅籠屋の様式が残っているとして、現在は資料館になっています。
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浪花講
「浪花講」とは大坂の商人である松屋甚四郎さんが始めた街道宿の粛正運動で結成された組織。全国の主要な街道の優良旅籠を加盟させ、加盟宿には目印の看板をかけさせたそうです。紀伊国屋は、誰でもが安心して泊まれる旅籠だったということですね。
当時の旅路はどうだったのでしょうか。
こんなものが紹介されていましたよ。
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旅行用心集
旅行用心集は江戸時代に執筆された旅のガイドブック。
東海道と中山道の宿場とその間の距離が絵入りで紹介されていたり、こんなことに用心しなさい、こんな時はこうしなさいと言うアドバイスが書かれています。
- ・毒虫に噛まれた時の対処法
- ・船や駕籠に酔った時の直し方
- ・食あたりへのアドバイス
などの実用的なものから、
- ・欲張りすぎるスケジュールは疲労のもとだ
- ・たとえ家来を連れていったとしても身の回りのことは自分でやる
- ・地方の言葉を笑うな
こんなアドバイスまで書かれてあり、親切なガイドブック。
いくつかは現代でも通用しそうな内容ですね。
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こちらは大阪の商人さんが記した「仙台下向日記」に書かれていた紀伊国屋の夕食を再現したもの。
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- ・ボラと焼き豆腐の煮物
- ・大根汁
さすが漁師町。海の幸がメインの献立ですね。
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- ・アサリと寒天の酢醤油かけ
- ・ウナギ蒲焼
この鰻の蒲焼が名物だった紀伊国屋。
鰻の捌き方に文化圏の違いが表れるのが鰻の蒲焼の面白いところ。
関東は背開き、関西は腹開きですが…?
解説によると新居は背開き。豊橋は腹開きだったそうです。
鰻の捌き方では、新居が文化圏の境目なんですね。
展示で一番驚愕したのが、こちらのカメ。
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こちらは門外不出の秘伝の蒲焼のタレが入っているカメ。
キャプションによると、今も干からびたタレが残っている!とのこと。
ガラス越しに覗き込んでみましたが、確かにそれらしきものが確認できました(笑)
これを成分分析したら「復刻 紀伊国屋うなぎのタレ」が発売できるのか?
ちょっと食べてみたいぞ。
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日の当たる縁側
一階には、風呂場や台所などがありました。
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風呂場
お風呂場には桶だるがポンと一つ置かれていました。
江戸時代は、家庭用の風呂はまだ普及しておらず、公衆浴場が主だったようですね。
熱した石に水をかけ蒸気で上半身を蒸らし、大樽にお湯を張り下半身だけ浸かっていたとのこと。
現代人の感覚で言うと、ちょっとまどろこしいというか、入った気がしないだろうなと想像します。
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ア!由美かおる!
台所には、お膳や食器類がありました。
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台所
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神棚があり、お賽銭が綺麗に並べられていました。
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続いては、2階のフロアを見学。
明治の建て替えの際に二階建てになったとのこと。
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手すりが無いので気をつけて登り下りすべし。
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天井低!
明治の平均身長(1900年 18歳)は、男性で160cmほど、女性は147cmほどですから、このくらいでちょうどよかったのかも。 ちなみに、現代(2017年 18歳)は男性で169cmほど、女性は155cmほど。現代人基準だと頭上の圧が気になる造り。
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岩盤浴によくあるような角まくらと高さのある箱枕。
髷を結った髪型が崩れないように考案されたらしいですが、昔の人はこれでよく眠れたんか?と思ってしまいます。首を寝違えてしまいそう。
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一階に戻り、中庭を眺めながら建物南西にある離れも見学。
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離れはこじんまり上品な雰囲気
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水琴窟があった
離れの縁側には、つっかけが置いてあり、お庭に出れるようになっていました。
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少し足を伸ばして、小松楼を見学
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紀伊国屋資料館から徒歩1分ほどにある小松楼。
今は、小松楼まちづくり交流館として地域の方々の交流の場になっています。
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新居関所がその役割を終え、小学校や役場として使われるようになった明治以降。
関所周辺は警察署や郵便局が置かれ、町の中枢として賑わうようになっていったそうです。
そのメイン地区から少し外れた俵町より船町界隈は、歓楽街として栄え始めました。
最盛期には、芸者置屋が11軒もあり、50人〜80人の芸者がいたそうです。
ハイカラなカフェやバーもあったようですよ。
小松楼もその中の芸妓置き屋の一つ。新居町出身の松井米吉と言う人が浜松で新聞店を営んだ後、大正初め頃に置屋兼小料理屋として開業したのが始まりだそうです。
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一階では切り絵の展示会が行われていた
地域住民の方の作品がたくさん飾られており、すごくほのぼのした空間。
当時を物語るものもたくさん展示されていましたよ。
まずは、入り口の大きな下駄箱。
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こちらには雨の日に履く歯の高い下駄が収納されていました。
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半玉(舞妓)さんのぽっくりかなあ?いや、サイズ的に七五三?
その中に面白い履物を発見。スタッフの方によると「鉄下駄」とのこと。
「星飛雄馬の世界でしょ?(笑)履いてみる?」とのことだったので、履いてみました。
ずっしりと重く、鼻緒という2本の接点だけだと足の甲にかかる負荷が強い!重くて足上がらなかった…(笑)
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スポ根の魂が宿ってる…
小料理屋としても商いをしていたので玄関入ってすぐのところにお座敷への大きな階段があります。
こちらの階段はお客様用なのだそうです。
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建物入ってすぐの階段
従業員は表の階段のすぐ裏の階段からお料理を運びました。
今は、階段のステップに昔の道具が展示されていました。
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お菓子の木型
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薬や飲み物を飲ませる楽のみ
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天秤ばかり
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家庭用吸入器
こちらの怪しい機器は家庭用吸入器。
風邪の時に喉が痛くなると、お薬をこの機器にセットしアルコールランプで熱し蒸気にして吸引していたそうです。喉の炎症を抑えたり、痰を柔らかくして出しやすくする効果があったそうです。風邪予防の一環としても使用されたのだとか。
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こちらは2階のフロア。
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一角に、だいぶ風格のあるヤマハのオルガンがあり、「まだ音が出るんですよ。弾いてみますか?」とのこと。
しかし、両足で一つのペダルを交互にフミフミしなくては音が出ない!
フミフミがすごく忙しいので演奏どころじゃないですね。まるで、水中では必死な白鳥のようだ。
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芸妓さんの写真だ
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芸妓さんの稽古も行っていたそうで、三味線やお座敷太鼓が展示されていました。
その他にも、こんなものも…
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モノクロ用引き伸ばし機
写真屋さんからの寄贈ですかね?あの芸妓さんの写真を取ったところの機材かなあ、なんて勝手に想像。
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ダイトンミシン
こちらのダイトンミシンは軍服用の工業ミシンとのこと。
どういった経緯でいつ小松楼がこのミシンを購入したのは不明とのこと。
本陣跡
東海道沿いには、かつての新居宿の名残を見つけることができます。
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飯田武兵衛本陣跡
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飯田武兵衛本陣跡は、新居宿にあった3つの本陣のうちのひとつ。
飯田武兵衛さんは、新居関所の取り壊しの際に、建物の有効利用に一役買ったひとり。
飯田武兵衛本陣は、明治元年と明治11年の明治天皇の行幸の際には行在所に利用されました。
その時の建物は、天皇様のお使いになった建物として奥山方広寺に移築されたそうです。
その明治天皇行在所、ぜひみてみたいのですが、普段は完全非公開。
2017年に、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」のロケ地である禅堂が公開された時に、明治天皇行在所も特別に公開されたとのこと。
特別なことがないと拝めない場所なのか〜!また、拝観できるチャンス来ないかな〜。
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疋田八郎兵衛本陣跡
飯田武兵衛本陣跡のすぐ隣には、別の本陣跡が。
新居宿にあった3つの本陣のうち、ここだけでふたつ発見。
疋田八郎兵衛本陣はかなり広く、建坪193坪。門と玄関を備えており、吉田藩のほか、徳川御三家など約120家が利用したそうです。
疋田家は新居宿の庄屋(村政を担当した村の首長)も務める、名主だったそうですよ。
昔の雰囲気が残る建物をめぐり、穏やかな観光が楽しめました。
新居関所と一緒にぜひ、こちらもまわってみてくださいね。
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小松楼にあった新居みくじひいてみた
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あと引きせんべいをおすすめする御神託
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神様〜!あと引きせんべい定休日だったよ〜!残念なり。
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- 猫と一緒に暮らし始め、猫アレルギー疑惑が払拭されました。猫の毛ってすごい空中に舞いますね。ふわふわ。
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